「もの言える自由」裁判が上告棄却! 

 最高裁判決は憲法上の判断をせず、逃げてしまいました!

 
 <パワー・トゥ・ザ・ピープル!!より>
 
「もの言える自由」裁判 ・最高裁上告棄却!


 最高裁を「審査」しよう

 30日の総選挙の投票のときに、最高裁判事の「国民審査」投票もあります。


 ♪ 最高裁判事に対する「国民審査」権を行使しよう!

 自分で判断し、行動する力を育てることは、言うまでもなく教育の根幹です。教育の根幹を否定するか

のような教育委員会の姿勢が教育の場を困難にしています。さらに裁判所が「憲法・人権の砦」の役割を

果たさないことが、困難に拍車をかけています。

 「もの書える自由」裁判のように行政を相手にする裁判においては、裁判所が余りにも「行政寄り」の

判断を示し、三権分立が危うい現実に驚かされます。裁判所が憲法に則って判断してくれないなら、いっ

たいどこに訴えればよいのでしょうか!?


 国連の国際人権B規約「市民的及び政治的権利に関する国際規約」の選択議定書を日本も批准すれば、

個人が国連に通報する道が開かれるのですが、同本は政府が批准を拒み"後れを取って"います。


 現状では、最高裁判事に対する「国民審査」は裁判所に「国民」が意思表示できる数少ない機会です。

8月30日の総選挙の際に行われる最高裁判事に対する「国民審査権」を行使しましょう。

(国民審査では何も書かなければ「信任」とみなされるのでご注意下さい)

(■は、今回の最高裁裁判官審査対象となる裁判官です。×印を!)


    最高裁主任裁判官  甲斐中辰夫 

    裁判官  ■涌井紀夫 ■宮川光治、■桜井龍子、■金築誠志


  「上告棄却」は最高裁第1小法廷上記5名全員一致の決定です。



 ♪ 「もの言える自由」裁判上告棄却

 ~「自分で判断し、行動できる力」をめぐって

 「もの言える」裁判「上告棄却」の決定が2009年7月2日付けで出され弁護士事務所に送付されま

した。

 棄却の理由は、本件上告理由は、違憲をいうが、その実質は事実誤認又は単なる法令違反を主張するも

のであって、上告が許される各項(民訴法312条1項又は2項所定の場合)に規定する事由に該当しな

い、という*「門前払い」でした。

 4月28日に「上告理由書」等を提出し、最高裁に5月14日に記録到着、それから実質1ヶ月半にも

満たない間に一体どんな「審理」を行ったのでしょうか?


 週休日に前任校卒業式に出席した教員が来賓紹介の際述べた短い祝辞、=「おめでとうございます。

色々な強制の下であっても自分で判断し行動できるカを磨いていってください。」=が不適切だと東京都

教育委員会が調査・指導・公表したことが、「衷現の自由」「思想・良心の自由」等の侵害だという訴え

に対して、まったく憲法上の判断をせずに棄却した地裁・高裁判決が、最高裁の「上告棄却」によって確

定しました。


 ♪ 「もの言える自由」裁判上告棄却

 ~「自分で判断し、行動できる力」をめぐって

 卒業式で餞の言葉として「おめでとうございます。色々な強制のもとであっても自分で判断し、行動で

きる力を磨いていって下さい」と言ったら「ふさわしくない」ものだったでしょうか?

 2005年に前任校(都立豊多摩高校)の卒業式で前記の言葉を贈った教員に対して都教委が「指導」

処分を決定したことに驚き、東京都に精神的苦痛等の損害賠償請求裁判を教員が提訴し、その卒業式に出

席していた保護者たちが中心となり「もの言える自由」裁判交流会が発足し、裁判が進められてきまし

た。


 都立高校の中でも際だった「自主・自律」の校風のもとで、活発に、のびやかに育ってきた生徒たちに

「この学校で育ったことに自信を持って巣立っていってほしい」と心をこめて贈った言葉でした。

 まして*週休日の土曜日に勤務を離れて出席していました。都教委による思想・言論弾圧を正面から憲

法問題として問う裁判でしたが、残念ながら東京地裁・高裁・最高裁ともに棄却され、内容的にも裁判所

が都教委の代弁をするような判決でした。


 ♪ 判決の問題点

 高裁判決は憲法上の根拠をはぐらかし、「(控訴人は違法であると主張するが)当裁判所が採用しない

見解に立脚するものであるから、いずれも採用することができない。」と、根拠を述べずに訴えを退けて

しまいました。

 ①来賓として述べた「言葉」に対して(実際には正確に「言葉」を把握しないまま〉、「TPOを考え

るとふさわしくなかった」という曖昧な「指導」を行ったことは、正に発言に対する規制であるにもかか

わらず、「言論・表現の自由」の侵害であるという訴えに裁判所は内容的に全く答えていません。

 ②東京地裁(篠原淳一裁判官)は、都側が原告の発言を問題視したのは「国旗掲揚・国歌斉唱に対する

対応が自らの判断に委ねられる旨の生徒に対する指導」と見なしたからだと「推認できる」と判示しまし

た。都側が「理由」を答えなかったために裁判所が代弁してそれまで誰も言わなかった「理由」を推認し

て判決を書くとは、あるまじきことです。

 ③提訴以来2年半の裁判で、原告の発言をなぜ「不適切」と判断したのかを問い続けても都側は「祝辞

とは言えない、意味不明な内容だった」としか答えなかったのですが、控訴審の最終段階に都側が提出し

た「第1準備書面」で初めて「そもそも、本件指導の背景にある『10,23通達』をめぐる対立状況に

ついては、まさに控訴人は当事者であるのであって、・・・」と述べました。そうした問題を「背景」と

して「本件指導」を行ったのであれば、それはとりもなおさず、原告が実際に述べた餞の言葉から離れ

て、都教委が予断と偏見をもって判断したということに他なりません。

 高裁判決の「控訴人は登多摩高校に勤務していた当時から本件施策に反対しており、本件卒業式の国歌

斉唱時に起立しなかったことが認められる。」「『強制』という言葉を使用することにより、…本件施策

をめぐる対立状況の一端を持ち込むかのような印象を与えかねないことに照らして、卒業式という式典に

おける発言としては不適切であったことを指摘する趣旨であると明確に理解できたものと認められる」と

いう判示は、まわりくどい言い方ですが、国旗・国歌の強制に反対する思想そのものを都教委が問題視し

たのだと認め、それにお墨付きを与えていると言えます。


 ♪ 生徒は自分で判断し行動してはいけないのか?

 東京都教育委員会は「君が代」斉唱時に不起立・不伴奏の教職員を処分するだけでなく、卒・入学式の

司会進行表に(国歌斉唱時に)「不起立の生徒がいたら再度起立を促す」と書き込ませるようになりまし

た。この判決も“生徒は国旗国歌について自分で判断すべきでない”という趣旨を含んでいます。この国

の「憲法」はどこには行ってしまったのでしょうか?




 「もの言える自由」裁判交流会事務局 
〒180・0002 3-10-12