<パワー・トゥ・ザ・ピープル!!より>
《白鴎有志の会 会報》
◇ 扶桑社も、自由社もいらない
--三回目の教科書選び--
尾形修一(白26)
今年は、四年ごとに行われる、教科書を選びなおす年にあたります。都立白鴎高等学校附属中学校も開校五年目を迎え、教科書選びも三回目です。
しかし、中学校の新学習指導要領が平成二四年(二〇一二年)実施のため、今年採択されても二年間です。そこで各社とも現行教科書をそのまま二年間使います。全国でも教科書を変える地区はほとんどないと思われます。
ただし、中学校の社会科歴史的分野で前回扶桑社を採択した、ごく一部の教育委員会は事情が異なります。それは扶桑社の執筆者グループ「新しい歴史教科書をつくる会」が分裂したからです。扶桑社から「切られた」藤岡信勝氏らは、扶桑社に「著作権引き上げ」を通告し、自由社から新教科書を出しました。この教科書は、扶桑社版と構成の類似性が高いものです。
一方、扶桑社は前回の教科書をそのまま二年間継続し、次の採択から育鵬社(扶桑社の子会社)で教科書を作る予定です。
これに対し「つくる会」側は、扶桑社版の出版差し止めを東京地裁に提訴し、同趣旨の仮処分を申請しました。しかし、仮処分は三月に却下され、知的財産高裁に抗告したものの三月末に棄却されています。
今まで扶桑社は教科書を市販するなど、自分たちの主義主張を広める手段として、教科書を利用してきました。そのあげく、思ったほどのシェアを取れず、自ら「右寄り過ぎて採択が取れない」(扶桑社内部の話として「つくる会」が指摘。扶桑社は否定)として、「つくる会」と断絶しました。
このような経過を考えると、扶桑社も自由社も、教科書を政治利用する点では同じと言えます。内容以前の問題として両社は採択の対象からはずすのが当然だと思います。
東京では、中高一貫校の中等部(附属中)の教科書を教育委員会が採択しています。
この仕組みがまず納得できません。何故なら、特に「中高一貫」とうたう以上、高校だけは校内で選定し、附属中だけは都教委が現場の意見も聞かずに決めるというのは明らかに不自然だからです。実際に教科書を使う現場教員の希望を全く聞かずに、何が中高一貫なのでしょうか。
私たちはこのような趣旨から、都教委に附属中の教科書採択制度を変更するように請願しました。しかし、予想されたように、都教委は全く闘く耳は持たず、今までのやり方を変えませんでした。
形の上では、東京都教科用図書選定審議会が作られ、その答申を尊重して採択されます。しかし、その調査結果でも、扶桑社が優れているとはなっていません。
社会科以外では各校で異なった場合もあるのに、社会科の歴史と公民だけは、すべての中高一貫校、特別支援学校で教育委員全員が扶桑社を選んでいます。(例えば、国語は白鴎が光村、小石川と両国が学図、桜修館が東書と違っています。)
これらは、社会科に関しては事前に「談合」するか、あるいは教育委員レベルを超えた政治的思惑で採択されているか、どちらかとしか考えられません。しかも、都教委は今まで一切の説明責任を果たして来ていません。
しかし、今回ばかりは、採択した後で著作権争いが続くなどという事態を起こしてはならないはずです。もう教育現場を政治利用するのは止めて、教科書は現場で選ぶようにすべき時です。
『白鴎有志の会 会報』第6号(2009.6.15 発行考えよう!「教科書」問題)
《白鴎有志の会 会報》
◇ 扶桑社も、自由社もいらない
--三回目の教科書選び--
尾形修一(白26)
今年は、四年ごとに行われる、教科書を選びなおす年にあたります。都立白鴎高等学校附属中学校も開校五年目を迎え、教科書選びも三回目です。
しかし、中学校の新学習指導要領が平成二四年(二〇一二年)実施のため、今年採択されても二年間です。そこで各社とも現行教科書をそのまま二年間使います。全国でも教科書を変える地区はほとんどないと思われます。
ただし、中学校の社会科歴史的分野で前回扶桑社を採択した、ごく一部の教育委員会は事情が異なります。それは扶桑社の執筆者グループ「新しい歴史教科書をつくる会」が分裂したからです。扶桑社から「切られた」藤岡信勝氏らは、扶桑社に「著作権引き上げ」を通告し、自由社から新教科書を出しました。この教科書は、扶桑社版と構成の類似性が高いものです。
一方、扶桑社は前回の教科書をそのまま二年間継続し、次の採択から育鵬社(扶桑社の子会社)で教科書を作る予定です。
これに対し「つくる会」側は、扶桑社版の出版差し止めを東京地裁に提訴し、同趣旨の仮処分を申請しました。しかし、仮処分は三月に却下され、知的財産高裁に抗告したものの三月末に棄却されています。
今まで扶桑社は教科書を市販するなど、自分たちの主義主張を広める手段として、教科書を利用してきました。そのあげく、思ったほどのシェアを取れず、自ら「右寄り過ぎて採択が取れない」(扶桑社内部の話として「つくる会」が指摘。扶桑社は否定)として、「つくる会」と断絶しました。
このような経過を考えると、扶桑社も自由社も、教科書を政治利用する点では同じと言えます。内容以前の問題として両社は採択の対象からはずすのが当然だと思います。
東京では、中高一貫校の中等部(附属中)の教科書を教育委員会が採択しています。
この仕組みがまず納得できません。何故なら、特に「中高一貫」とうたう以上、高校だけは校内で選定し、附属中だけは都教委が現場の意見も聞かずに決めるというのは明らかに不自然だからです。実際に教科書を使う現場教員の希望を全く聞かずに、何が中高一貫なのでしょうか。
私たちはこのような趣旨から、都教委に附属中の教科書採択制度を変更するように請願しました。しかし、予想されたように、都教委は全く闘く耳は持たず、今までのやり方を変えませんでした。
形の上では、東京都教科用図書選定審議会が作られ、その答申を尊重して採択されます。しかし、その調査結果でも、扶桑社が優れているとはなっていません。
社会科以外では各校で異なった場合もあるのに、社会科の歴史と公民だけは、すべての中高一貫校、特別支援学校で教育委員全員が扶桑社を選んでいます。(例えば、国語は白鴎が光村、小石川と両国が学図、桜修館が東書と違っています。)
これらは、社会科に関しては事前に「談合」するか、あるいは教育委員レベルを超えた政治的思惑で採択されているか、どちらかとしか考えられません。しかも、都教委は今まで一切の説明責任を果たして来ていません。
しかし、今回ばかりは、採択した後で著作権争いが続くなどという事態を起こしてはならないはずです。もう教育現場を政治利用するのは止めて、教科書は現場で選ぶようにすべき時です。
『白鴎有志の会 会報』第6号(2009.6.15 発行考えよう!「教科書」問題)