< Prof. Shima's Life and Opinion Shima教授の生活と意見。 より>
『昭和史の証言――戦時体制下の日本文学(1931~1945)』
著者 : 胡連成 中国・華僑大学副教授 / 近現代の日中関係史、文学史を専門
出版 : 吉林大学出版部 / 中国
胡連成著『昭和史の証言――戦時体制下の日本文学(1931~1945)』への序 中国・華僑大学の副教授で
近現代の日中関係史、文学史を専門とする胡連成氏の著書『昭和史の証言――戦時体制下の日本文学(19
31~1945)』が送られてきた。
吉林大学出版部から、この5月に刊行されたばかりのものである。
この本には「序」の執筆を依頼され、求めに応じて記した。
本には胡連成氏の訳による中文のものが掲載されているので、その原文を掲出しておく。
昨年12月初めに書いたものだが、その後の情勢の展開や、「憲法改正」を悲願とする鳩山率いる民主党
への「政権交代」が予想される現状を踏まえればなおさら、ここに述べたようなことを心していかなけれ
ばならないと思う。
--胡連成著『昭和史の証言――戦時体制下の日本文学(1931~1945)』への序
島村 輝(女子美術大学教授・日本)(現フェリス女学院大学教授 )
<< 踏まえなければならない歴史的事実を解明する >>
アメリカ合衆国のサブ・プライム証券の信用下落をきっかけとして始まった金融危機が世界を席巻してい
る最中の二〇〇八年一〇月、日本の航空自衛隊の最高幹部・航空幕僚長であった田母神俊雄氏が書いた論
文が、民間企業の懸賞論文コンクールの最優秀賞に選ばれて公になるという事件が起こった。その内容
は、旧満州・朝鮮半島の植民地化や第二次世界大戦での日本の役割を一貫して正当化し、集団的自衛権の
行使を禁じる現行憲法に疑問を呈したものであった。論文は、日中戦争について「中国政府からは『日本
が侵略した』と追及されるが、むしろ日本のほうこそ、蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者
である」と主張し、旧満州・朝鮮半島について日本の植民地支配によって「現地の人々は圧政から解放さ
れ、生活水準も格段に向上した」としていた。
日本政府は一九九五年、当時の村山富一内閣総理大臣の談話において、植民地支配と侵略で「アジア諸国
の人々に、多大の損害と苦痛を与えた」とその責任を認め、歴代内閣の指導者もこの談話を継承する立場
をとってきた。事件発覚当時の麻生総理も、基本的にはこの談話を継承する立場を表明しており、実力部
隊の中枢にある人物が、政府の立場とは明白に異なるこのような見解を、懸賞論文応募という形で公表す
ることが問題となって、田母神氏は時を置かず、更迭されることとなった。しかし、この事件に伴って、
この懸賞論文に一〇〇名近い自衛隊員の応募があったことや、これまで自衛隊の部内において、日本の植
民地支配や侵略を正当化するような教育が行われてきたことなどが明らかになった。
二〇世紀の終わりから今世紀にかけて、日本ではアジア太平洋十五年戦争の総括を含む、戦後の歴史観
が、大きな試練にさらされる時期を経験した。アメリカ合衆国の世界的軍事戦略の展開の下で、同盟国・
日本がアメリカの主導する戦争への実質的参加の道を切り開くための、アメリカ側からの憲法改訂の圧力
が強く加わった。靖国神社参拝に固執しつつ、郵政民営化をただ一つの政治課題に掲げて衆議院の圧倒的
多数を確保した小泉政権を引き継いで二〇〇六年に成立した安倍内閣では、教育基本法の改悪が強行さ
れ、憲法改悪に向けてのさまざまな方策が準備されていた。民間では「新しい歴史教科書を作る会」が主
導する扶桑社版教科書が検定を通過し、二〇〇五年の採択に向けて、激しいキャンペーンが繰り広げられ
た。そうした中で、日本の「近代化」の過程における植民地支配と侵略戦争の歴史を否定し、自衛隊を
「軍隊」として公認しようとする策動が進行していったのだった。
こうした事態の推移に対し、中国や韓国をはじめとして、アジアや世界の各国・各地域から非難や憂慮の
声が発せられた。日本国内においても、二〇〇四年に、現代日本を代表する著名人九名により、日本国憲
法九条の平和条項を擁護するという一点を共有する「九条の会」が生まれ、その呼びかけに応えて全国に
急速に、草の根の「九条の会」が広がりを見せていった。教育基本法の改悪は強行されたものの、二〇〇
五年の教科書採択に当たっては、扶桑社版教科書の採用はごく少数にとどまり、なにより二〇〇七年の参
議院選挙に「憲法改正」を公約のトップに掲げた自由民主党は惨敗、安倍総理大臣は退陣を余儀なくされ
ることとなったのである。現在では「憲法九条の改正」を望む世論は少数派となり、憲法上の明文として
軍隊を公認する動きは表面上やや沈静化しているように見えるものの、この文章の冒頭に記したような、
歪んだ歴史認識や、侵略戦争への無反省が、日本社会のあちこちに根強く残存し、なにかきっかけがあれ
ば息を吹き返してきかねない状態は依然として継続している。今回の幕僚長更迭にしても、与党・自由民
主党の中で論文の主張に同調する者も少なからずあり、国会議員の多くがそろって靖国神社に参拝するよ
うな状況は基本的には変っていない。その意味で、日本政府の歴史認識に対する態度については、少しも
気の許せない状況が続いているといってよい。
こうした中で上梓された胡連成氏の『昭和史の証言――戦時体制下の日本文学(1931~1945)』は、かつ
て日本の侵略にさらされた当事国にある日本近代文学研究者の手によるアジア太平洋戦争期の日本文学の
研究として、出版国である中国はもとより、日本や、韓国をはじめとするアジア諸地域の、日本文学・日
本文化・日本歴史研究に多大な貢献をもたらすことが期待される労作である。
本書は日本が経験したアジア太平洋十五年戦争を、①満州事変から日中全面戦争に至るまで、②日中全面
戦争突入後、太平洋戦争開戦に至るまで、③太平洋戦争開戦から日本の敗戦による戦争終息に至るまで、
の三つの時期に大別し、それぞれの時期に、日本の文学がどのような状態にあったかを、大きな視点から
分析・記述している。また、そうしたいわゆる「戦時体制」の特色を分析するとともに、戦争終結後の戦
争責任、戦後責任の問題にも論及することによって、戦争を遂行した国からではなく、その被害を蒙った
国の側からの歴史認識の上に立った、全面的な「文学現象」の姿を明らかにしようとしている。
本文中にも紹介されているように、これまでアジア太平洋十五年戦争の時期を対象にした文学史の蓄積は
なされてきた。しかし、歴史的にそうした文学を生み出す母体となった日本側からの研究であっても、そ
こには数々の制約があり、十分語りつくされたとは到底いえない状況がある。中国をはじめとする外国か
らの研究となれば、量・質ともに現在までのところ非常に限られた状態が続いてきたといえる。まさに胡
連成氏のこの労作によって、戦時体制下の日本文学についての、外国からの本格的研究が軌道を引かれる
ことになろうかと思う。そのために採用された「総合的記述と個別実証」という遠近法を踏まえた記述
は、豊かな実りをもたらすことが予想される。
植民地支配や侵略戦争の事実に対して、自覚的であろうと努める者にとってさえ、侵略をした側の国に属
する者と、侵略をされた側の国や地域に属する者との間では、時として大きな認識枠組みの隔たりを感じ
ることがある。場合によっては、それは研究者の主体を揺るがすにいたるほどの「居心地の悪さ」となっ
て感じられる場合もある。そうした認識枠組みや相互の文脈の違いに対してまで、十分に自覚的であって
こそ、はじめてそのような違いを前提にした、議論の突き合わせができることになる。そこで試されるの
が、そうした「居心地の悪さ」に直面する勇気と、そこで動揺せず議論をたたかわせ得る、学問の場を共
有する者同士の信頼であろう。
筆者と胡連成氏とは、これまで国際学会の議場や懇親会の折に数回ご一緒をする機会があったばかりであ
る。しかしその折の意見交換の内容や、なにより歴史認識に対する誠実な態度、率直でしかも親しみ深い
人柄など、まことに印象深く記憶に残っている。今回この書物を上梓されるにあたり、序の執筆を依頼さ
れたことは、筆者にとって大変光栄な機会であった。胡連成氏の労をねぎらい、ますますの健筆を祈ると
ともに、この労作をきっかけとして、今後日中の、また広くアジアの近代日本文学・文化・歴史研究者た
ちの間に、現代世界の状況に結びつく学問的対話が広がっていくこと、そのことが日本を含むアジア各
国・各地域の軍備強化論を事実として無効なものとするようになることを、強く期待するものである。
『昭和史の証言――戦時体制下の日本文学(1931~1945)』
著者 : 胡連成 中国・華僑大学副教授 / 近現代の日中関係史、文学史を専門
出版 : 吉林大学出版部 / 中国
胡連成著『昭和史の証言――戦時体制下の日本文学(1931~1945)』への序 中国・華僑大学の副教授で
近現代の日中関係史、文学史を専門とする胡連成氏の著書『昭和史の証言――戦時体制下の日本文学(19
31~1945)』が送られてきた。
吉林大学出版部から、この5月に刊行されたばかりのものである。
この本には「序」の執筆を依頼され、求めに応じて記した。
本には胡連成氏の訳による中文のものが掲載されているので、その原文を掲出しておく。
昨年12月初めに書いたものだが、その後の情勢の展開や、「憲法改正」を悲願とする鳩山率いる民主党
への「政権交代」が予想される現状を踏まえればなおさら、ここに述べたようなことを心していかなけれ
ばならないと思う。
--胡連成著『昭和史の証言――戦時体制下の日本文学(1931~1945)』への序
島村 輝(女子美術大学教授・日本)(現フェリス女学院大学教授 )
<< 踏まえなければならない歴史的事実を解明する >>
アメリカ合衆国のサブ・プライム証券の信用下落をきっかけとして始まった金融危機が世界を席巻してい
る最中の二〇〇八年一〇月、日本の航空自衛隊の最高幹部・航空幕僚長であった田母神俊雄氏が書いた論
文が、民間企業の懸賞論文コンクールの最優秀賞に選ばれて公になるという事件が起こった。その内容
は、旧満州・朝鮮半島の植民地化や第二次世界大戦での日本の役割を一貫して正当化し、集団的自衛権の
行使を禁じる現行憲法に疑問を呈したものであった。論文は、日中戦争について「中国政府からは『日本
が侵略した』と追及されるが、むしろ日本のほうこそ、蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者
である」と主張し、旧満州・朝鮮半島について日本の植民地支配によって「現地の人々は圧政から解放さ
れ、生活水準も格段に向上した」としていた。
日本政府は一九九五年、当時の村山富一内閣総理大臣の談話において、植民地支配と侵略で「アジア諸国
の人々に、多大の損害と苦痛を与えた」とその責任を認め、歴代内閣の指導者もこの談話を継承する立場
をとってきた。事件発覚当時の麻生総理も、基本的にはこの談話を継承する立場を表明しており、実力部
隊の中枢にある人物が、政府の立場とは明白に異なるこのような見解を、懸賞論文応募という形で公表す
ることが問題となって、田母神氏は時を置かず、更迭されることとなった。しかし、この事件に伴って、
この懸賞論文に一〇〇名近い自衛隊員の応募があったことや、これまで自衛隊の部内において、日本の植
民地支配や侵略を正当化するような教育が行われてきたことなどが明らかになった。
二〇世紀の終わりから今世紀にかけて、日本ではアジア太平洋十五年戦争の総括を含む、戦後の歴史観
が、大きな試練にさらされる時期を経験した。アメリカ合衆国の世界的軍事戦略の展開の下で、同盟国・
日本がアメリカの主導する戦争への実質的参加の道を切り開くための、アメリカ側からの憲法改訂の圧力
が強く加わった。靖国神社参拝に固執しつつ、郵政民営化をただ一つの政治課題に掲げて衆議院の圧倒的
多数を確保した小泉政権を引き継いで二〇〇六年に成立した安倍内閣では、教育基本法の改悪が強行さ
れ、憲法改悪に向けてのさまざまな方策が準備されていた。民間では「新しい歴史教科書を作る会」が主
導する扶桑社版教科書が検定を通過し、二〇〇五年の採択に向けて、激しいキャンペーンが繰り広げられ
た。そうした中で、日本の「近代化」の過程における植民地支配と侵略戦争の歴史を否定し、自衛隊を
「軍隊」として公認しようとする策動が進行していったのだった。
こうした事態の推移に対し、中国や韓国をはじめとして、アジアや世界の各国・各地域から非難や憂慮の
声が発せられた。日本国内においても、二〇〇四年に、現代日本を代表する著名人九名により、日本国憲
法九条の平和条項を擁護するという一点を共有する「九条の会」が生まれ、その呼びかけに応えて全国に
急速に、草の根の「九条の会」が広がりを見せていった。教育基本法の改悪は強行されたものの、二〇〇
五年の教科書採択に当たっては、扶桑社版教科書の採用はごく少数にとどまり、なにより二〇〇七年の参
議院選挙に「憲法改正」を公約のトップに掲げた自由民主党は惨敗、安倍総理大臣は退陣を余儀なくされ
ることとなったのである。現在では「憲法九条の改正」を望む世論は少数派となり、憲法上の明文として
軍隊を公認する動きは表面上やや沈静化しているように見えるものの、この文章の冒頭に記したような、
歪んだ歴史認識や、侵略戦争への無反省が、日本社会のあちこちに根強く残存し、なにかきっかけがあれ
ば息を吹き返してきかねない状態は依然として継続している。今回の幕僚長更迭にしても、与党・自由民
主党の中で論文の主張に同調する者も少なからずあり、国会議員の多くがそろって靖国神社に参拝するよ
うな状況は基本的には変っていない。その意味で、日本政府の歴史認識に対する態度については、少しも
気の許せない状況が続いているといってよい。
こうした中で上梓された胡連成氏の『昭和史の証言――戦時体制下の日本文学(1931~1945)』は、かつ
て日本の侵略にさらされた当事国にある日本近代文学研究者の手によるアジア太平洋戦争期の日本文学の
研究として、出版国である中国はもとより、日本や、韓国をはじめとするアジア諸地域の、日本文学・日
本文化・日本歴史研究に多大な貢献をもたらすことが期待される労作である。
本書は日本が経験したアジア太平洋十五年戦争を、①満州事変から日中全面戦争に至るまで、②日中全面
戦争突入後、太平洋戦争開戦に至るまで、③太平洋戦争開戦から日本の敗戦による戦争終息に至るまで、
の三つの時期に大別し、それぞれの時期に、日本の文学がどのような状態にあったかを、大きな視点から
分析・記述している。また、そうしたいわゆる「戦時体制」の特色を分析するとともに、戦争終結後の戦
争責任、戦後責任の問題にも論及することによって、戦争を遂行した国からではなく、その被害を蒙った
国の側からの歴史認識の上に立った、全面的な「文学現象」の姿を明らかにしようとしている。
本文中にも紹介されているように、これまでアジア太平洋十五年戦争の時期を対象にした文学史の蓄積は
なされてきた。しかし、歴史的にそうした文学を生み出す母体となった日本側からの研究であっても、そ
こには数々の制約があり、十分語りつくされたとは到底いえない状況がある。中国をはじめとする外国か
らの研究となれば、量・質ともに現在までのところ非常に限られた状態が続いてきたといえる。まさに胡
連成氏のこの労作によって、戦時体制下の日本文学についての、外国からの本格的研究が軌道を引かれる
ことになろうかと思う。そのために採用された「総合的記述と個別実証」という遠近法を踏まえた記述
は、豊かな実りをもたらすことが予想される。
植民地支配や侵略戦争の事実に対して、自覚的であろうと努める者にとってさえ、侵略をした側の国に属
する者と、侵略をされた側の国や地域に属する者との間では、時として大きな認識枠組みの隔たりを感じ
ることがある。場合によっては、それは研究者の主体を揺るがすにいたるほどの「居心地の悪さ」となっ
て感じられる場合もある。そうした認識枠組みや相互の文脈の違いに対してまで、十分に自覚的であって
こそ、はじめてそのような違いを前提にした、議論の突き合わせができることになる。そこで試されるの
が、そうした「居心地の悪さ」に直面する勇気と、そこで動揺せず議論をたたかわせ得る、学問の場を共
有する者同士の信頼であろう。
筆者と胡連成氏とは、これまで国際学会の議場や懇親会の折に数回ご一緒をする機会があったばかりであ
る。しかしその折の意見交換の内容や、なにより歴史認識に対する誠実な態度、率直でしかも親しみ深い
人柄など、まことに印象深く記憶に残っている。今回この書物を上梓されるにあたり、序の執筆を依頼さ
れたことは、筆者にとって大変光栄な機会であった。胡連成氏の労をねぎらい、ますますの健筆を祈ると
ともに、この労作をきっかけとして、今後日中の、また広くアジアの近代日本文学・文化・歴史研究者た
ちの間に、現代世界の状況に結びつく学問的対話が広がっていくこと、そのことが日本を含むアジア各
国・各地域の軍備強化論を事実として無効なものとするようになることを、強く期待するものである。