<パワー・トゥ・ザ・ピープル!!より>
7月14日、東京高裁で、「君が代」強制解雇裁判の控訴審第7回口頭弁論(結審)が行われました。
この裁判は、たった一回の「君が代」不起立で、<合格>していた嘱託員採用を、新年度2日前(2004年3月30日)に取り消されたことを不当として、10人(65歳以上の方々)が原告となり提訴している裁判です。
(一審は敗訴でした)
本日、98の傍聴席は全部埋まり、入れない人も約30名いました。
ただ、この結審を前に、これまで裁判を取り仕切ってきた宗宮(そうみや)裁判長が6月30日突然依願退職し、かわって新潟地裁所長から転任の奥田隆文裁判長になり、2週間後の本日結審です。
これで満足な裁判が出来るのでしょうか。
原告たちは裁判に強い不信感を抱いています。
裁判では、<4人の控訴人陳述>と<2人の弁護士弁論>がなされました。
終了後の報告集会で澤藤弁護士が「感動する法廷だった」と言っていましたが、とくに<4人の控訴人陳述>は素晴らしいものでした。
以下、これから4回に渡って、お一人づつその陳述を紹介していきます。
(重要と思われる部分を紹介します。)
<Koさん>
終戦間近の昭和20年7月6日、私の生まれ故郷の甲府はB29の焼夷弾爆撃を受けました。当時2歳に満たない赤ん坊だった私はその爆撃によって両足にケロイドが残る火傷を負いました。・・・
この傷痕を見る度に、どれほど戦争を憎んだか・・・
授業やホームルームの時間に、何回か生徒に両足に残っているケロイドを見せたり戦争の話をしたことがあります。戦争のおろかさと悲惨さを体験した者はそれらを語り継いでいく責任があります。
私の担当教科は保健体育でしたが、保健も体育もいずれも「命」を育む教育です。
・・・戦時中の武道は国策として学校で必修化され、国に命を盲目的に捧げる精神・滅私奉公の精神、忠君愛国と兵力としての強靭な肉体とを養成することだけを目的としていました。
昭和14年に時の厚生大臣が提出した「武道振興委員会設置及び審議経過」によると、
『・・一般国民ニハ極力武道ヲ修業セシメ、コレヲ行ワザル者ハ、就職・結婚ニ不利ナ条件トナルヨウニ迄、奨励ノ方法ヲ深刻ニ考エウベキナリ。』
とまで言っています。
戦前の教育がそうであったように、「戦争は教室から始まります。」
つまり、教育が行政権力によって支配され、学校が「命令と強制」、服従の場になった時に悲劇は再び繰り返されることになるのではないでしょうか。・・
私は、32年間の教諭時代と6年間の教頭時代を通して、一度も不起立をしたことはなく、却って一番大きな声で堂々と歌ってきました。・・・
そのような私が教員生活最後の卒業式で何故起立せず歌わなかったのでしょうか。それは、「おかしいことはおかしい」と直感的に感じたことから始まりました。
一つは、都教委が出した「10・23通達」が、これは「命令と強制」によって時代を逆戻りさせようとしているものだと感じたからです。
当時、一部の国会議員と都知事、そして一部都議らは、憲法や1947年制定の教育基本法を破り、「戦争の出来る国をつくる」と堂々と公言し始めていました。
これはおかしいと思うのが普通の感覚です。
おかしいことをおかしいと言えない社会こそおかしいはずです。
たった一度の不起立で首にするなど、当時の横山教育長を任命したかの石原知事でさえ、予想していなかったと記者会見で述べています。
さらに、教育公務員だからこそ、過去の歴史的事実を認識し憲法に従って二度と戦争を起さないために、直感的にこれは間違っている、おかしいと感じたことを行動に移していかなければなりません。
学習指導要領を盾に、起立して国歌を歌わないと処分するぞという命令による強制は、憲法や教基法を無視し平和や人権を否定するうえで、「戦争のできる国」づくりをすることにつながるのだということに気づく必要があります。
<Kiさん>
「10・23通達」発令直後の11月1日に、私が勤務していた都立高島高校は創立30周年行事を実施しました。
「通達」が発令された翌24日、校長は臨時職員会議を開き、「通達」を読み上げました。
私は、「起立・斉唱職務命令に従わない場合は、服務上の責任を問われる」という一節を聞き、従わねば処分するぞと脅迫されたと思いました。
この時の怒りと恐怖を今も忘れることができません。
式前々日の10月30日、2回目の臨時職員会議が開かれましたが、朝から2名の指導主事が校長室に居り、会議中も待機していました。
校長は「本当は出したくないが、上から命令されているので」と言いながら、個別職務命令書を出しました。
当日11月1日、式場の教職員の椅子の一つ一つに氏名を書いた紙が貼られ、なんと胸につける名札が、一人一人に配られました。
生徒、PTA役員、教育庁職員のただ一人にも配られていないにもかかわらず、です。
式場には教育庁職員7~8名が監視のために巡回していました。
「国歌斉唱」が始まると、なんと教頭と指導主事1名が教職員一人一人の顔を見ながら、起立斉唱しているかを確認しながら前を通ったのです。
私は自分の思想・信条に反して、処分を恐れて起立してしまいましたが、「囚人点呼」されているように感じ、怒りと屈辱感で一杯でした。
2004年4月の入学式で私はこの時も処分を恐れて、自分の思想・信条に反して起立しましたが、一人の保護者が身体を固くして、ジッと着席していたのを目撃しました。
その姿を見て、私を含めて教職員全員が起立することが、生徒や保護者に「立て!」と無言の圧力を加えていると改めて気がつき、ハッとしました。
2005年2月、都教委は従来なかった新しい項目、すなわち「学習指導要領に基づき適正に生徒を指導すること」と職務命令書に書き加えました。
副校長は「生徒が多数起立しないならば、式を中断して起立を促します。今年は私がやりますが、来年は先生方にやってもらいます。そのように副校長連絡会で都教委に指導されています」と説明しました。
起立しないと決めた生徒に、式典中に近寄って「立ちなさい」と言うことは指導ではなく、強制に他なりません。
私はそのような強制に手を貸せないと考え、今回は起立・斉唱命令に従わないと決意しました。
「日の丸」と「君が代」が、2000万アジア民衆と300万日本国民を殺した侵略戦争の、先頭に掲げられ、国民を鼓舞し、国民統合の象徴であったことは歴史的な事実です。
故に私は「日の丸・君が代」に対して否定的な思想をもっています。
「日の丸」に正対起立し、「君が代」を斉唱することは、単なる儀礼や常識やマナーではなく、これらに敬意を表する行為です。
そのような行為を強制されることは、私の思想を侵害することになります。
また教職員が一斉に起立し、生徒に起立斉唱するように指導することは、生徒の思想及び良心を侵害することになります。
現憲法はこのような強制を禁じているはずです。
憲法に基づいて判決されるように強く訴えて陳述を終わります。
(次回はOさんの陳述です)
7月14日、東京高裁で、「君が代」強制解雇裁判の控訴審第7回口頭弁論(結審)が行われました。
この裁判は、たった一回の「君が代」不起立で、<合格>していた嘱託員採用を、新年度2日前(2004年3月30日)に取り消されたことを不当として、10人(65歳以上の方々)が原告となり提訴している裁判です。
(一審は敗訴でした)
本日、98の傍聴席は全部埋まり、入れない人も約30名いました。
ただ、この結審を前に、これまで裁判を取り仕切ってきた宗宮(そうみや)裁判長が6月30日突然依願退職し、かわって新潟地裁所長から転任の奥田隆文裁判長になり、2週間後の本日結審です。
これで満足な裁判が出来るのでしょうか。
原告たちは裁判に強い不信感を抱いています。
裁判では、<4人の控訴人陳述>と<2人の弁護士弁論>がなされました。
終了後の報告集会で澤藤弁護士が「感動する法廷だった」と言っていましたが、とくに<4人の控訴人陳述>は素晴らしいものでした。
以下、これから4回に渡って、お一人づつその陳述を紹介していきます。
(重要と思われる部分を紹介します。)
<Koさん>
終戦間近の昭和20年7月6日、私の生まれ故郷の甲府はB29の焼夷弾爆撃を受けました。当時2歳に満たない赤ん坊だった私はその爆撃によって両足にケロイドが残る火傷を負いました。・・・
この傷痕を見る度に、どれほど戦争を憎んだか・・・
授業やホームルームの時間に、何回か生徒に両足に残っているケロイドを見せたり戦争の話をしたことがあります。戦争のおろかさと悲惨さを体験した者はそれらを語り継いでいく責任があります。
私の担当教科は保健体育でしたが、保健も体育もいずれも「命」を育む教育です。
・・・戦時中の武道は国策として学校で必修化され、国に命を盲目的に捧げる精神・滅私奉公の精神、忠君愛国と兵力としての強靭な肉体とを養成することだけを目的としていました。
昭和14年に時の厚生大臣が提出した「武道振興委員会設置及び審議経過」によると、
『・・一般国民ニハ極力武道ヲ修業セシメ、コレヲ行ワザル者ハ、就職・結婚ニ不利ナ条件トナルヨウニ迄、奨励ノ方法ヲ深刻ニ考エウベキナリ。』
とまで言っています。
戦前の教育がそうであったように、「戦争は教室から始まります。」
つまり、教育が行政権力によって支配され、学校が「命令と強制」、服従の場になった時に悲劇は再び繰り返されることになるのではないでしょうか。・・
私は、32年間の教諭時代と6年間の教頭時代を通して、一度も不起立をしたことはなく、却って一番大きな声で堂々と歌ってきました。・・・
そのような私が教員生活最後の卒業式で何故起立せず歌わなかったのでしょうか。それは、「おかしいことはおかしい」と直感的に感じたことから始まりました。
一つは、都教委が出した「10・23通達」が、これは「命令と強制」によって時代を逆戻りさせようとしているものだと感じたからです。
当時、一部の国会議員と都知事、そして一部都議らは、憲法や1947年制定の教育基本法を破り、「戦争の出来る国をつくる」と堂々と公言し始めていました。
これはおかしいと思うのが普通の感覚です。
おかしいことをおかしいと言えない社会こそおかしいはずです。
たった一度の不起立で首にするなど、当時の横山教育長を任命したかの石原知事でさえ、予想していなかったと記者会見で述べています。
さらに、教育公務員だからこそ、過去の歴史的事実を認識し憲法に従って二度と戦争を起さないために、直感的にこれは間違っている、おかしいと感じたことを行動に移していかなければなりません。
学習指導要領を盾に、起立して国歌を歌わないと処分するぞという命令による強制は、憲法や教基法を無視し平和や人権を否定するうえで、「戦争のできる国」づくりをすることにつながるのだということに気づく必要があります。
<Kiさん>
「10・23通達」発令直後の11月1日に、私が勤務していた都立高島高校は創立30周年行事を実施しました。
「通達」が発令された翌24日、校長は臨時職員会議を開き、「通達」を読み上げました。
私は、「起立・斉唱職務命令に従わない場合は、服務上の責任を問われる」という一節を聞き、従わねば処分するぞと脅迫されたと思いました。
この時の怒りと恐怖を今も忘れることができません。
式前々日の10月30日、2回目の臨時職員会議が開かれましたが、朝から2名の指導主事が校長室に居り、会議中も待機していました。
校長は「本当は出したくないが、上から命令されているので」と言いながら、個別職務命令書を出しました。
当日11月1日、式場の教職員の椅子の一つ一つに氏名を書いた紙が貼られ、なんと胸につける名札が、一人一人に配られました。
生徒、PTA役員、教育庁職員のただ一人にも配られていないにもかかわらず、です。
式場には教育庁職員7~8名が監視のために巡回していました。
「国歌斉唱」が始まると、なんと教頭と指導主事1名が教職員一人一人の顔を見ながら、起立斉唱しているかを確認しながら前を通ったのです。
私は自分の思想・信条に反して、処分を恐れて起立してしまいましたが、「囚人点呼」されているように感じ、怒りと屈辱感で一杯でした。
2004年4月の入学式で私はこの時も処分を恐れて、自分の思想・信条に反して起立しましたが、一人の保護者が身体を固くして、ジッと着席していたのを目撃しました。
その姿を見て、私を含めて教職員全員が起立することが、生徒や保護者に「立て!」と無言の圧力を加えていると改めて気がつき、ハッとしました。
2005年2月、都教委は従来なかった新しい項目、すなわち「学習指導要領に基づき適正に生徒を指導すること」と職務命令書に書き加えました。
副校長は「生徒が多数起立しないならば、式を中断して起立を促します。今年は私がやりますが、来年は先生方にやってもらいます。そのように副校長連絡会で都教委に指導されています」と説明しました。
起立しないと決めた生徒に、式典中に近寄って「立ちなさい」と言うことは指導ではなく、強制に他なりません。
私はそのような強制に手を貸せないと考え、今回は起立・斉唱命令に従わないと決意しました。
「日の丸」と「君が代」が、2000万アジア民衆と300万日本国民を殺した侵略戦争の、先頭に掲げられ、国民を鼓舞し、国民統合の象徴であったことは歴史的な事実です。
故に私は「日の丸・君が代」に対して否定的な思想をもっています。
「日の丸」に正対起立し、「君が代」を斉唱することは、単なる儀礼や常識やマナーではなく、これらに敬意を表する行為です。
そのような行為を強制されることは、私の思想を侵害することになります。
また教職員が一斉に起立し、生徒に起立斉唱するように指導することは、生徒の思想及び良心を侵害することになります。
現憲法はこのような強制を禁じているはずです。
憲法に基づいて判決されるように強く訴えて陳述を終わります。
(次回はOさんの陳述です)