昨日のブログ。
補足というか多少なりとものフォローをしたい。しておきたい。
ナカナカにアクセスありまして。
このままだと某所で斬馬刀の刑に処されてしまう。
ただ言っておきたい。興行全体としてはごめんなさい、私にとってはすこぉしだけ(©︎ザ・グレート・カブキ)、
でもさ、それだとただの変な人だから弁解というかフォローさせてほしい(俺からしたら俺以外が全員変な人なんだけど…)。
「楽しく」ってなに?
ってお話。
いや、いいのよ。
昨日の前説でリングアナの人が
「優しい世界♡」
って言っていたけど、そういう因縁も遺恨もない「世界観」をコンセプト(notカフェ)にしているのだから。
たださあ、
"プロレス"をうたう以上、最低限のあるべき演繹的な「世界観」ってあるわけで。そこで。
明るく楽しく激しい
プロレス
じゃあ全日行けよ?
おっしゃる通り。
楽しんで
と
激しく
は
ムズい?
↓コレ読んでみて。
「プロレスの痛みが抜けると物足りない」
コレですよ。コレ「激しく」と「楽しく」の共存共栄という関係が角田奈穂の中で成立してるってこと。俺が言ってる。
私の実体験を基にお話をしてもよろしいでしょうか。プヲタの「自分語り」は気持ち悪い?
角田奈穂と並ぶ東金の英雄が言ってる。
そういうことを言ってはいけない。
あのね、物事は激しいと楽しいんですよ。
私、高校生の頃にラグビーをやっていたんです。
3年間やりました。
あれは国体出場をかけた北信越予選での富山県代表戦。
ラック(密集)ができた。ラックサイドに誰もいない。「あれ、コレ行けるのかな?」
ラックからボールを拾った私はラックサイドから飛び出した。ずーっと先までだーれもいないグラウンド。走る。走る走る。ガムシャラに駆け抜ける。
私はFWなので本来グラウンドを駆け抜けるポジションではない。スクラムにラインアウト。いわゆる泥臭くてやっていて死ぬほどつまらないセットプレーが仕事。テレビには全然映らない。黒子。
とにかく走った。40mは走ったと思う。たったそれだけ?いやいやいや、FWにとっては1kmくらい独走になるのだ。空を飛んでいるような感覚。今でもたまに夢に見ることがある。一生忘れることはない。不思議な感覚。しかし最後の最後、ゴールに飛び込めばトライということで、ディフェンス最後の砦である相手のフルバックが立ちはだかった。その時味方がフォローに来ていることに気づく。私にパスを求める声に反応してパス。ちなみに試合でパスをしたのも3年間でこの一度きりだったと思う。そしてトライはパスを受けた味方が決めた。
試合後に監督から
「FWなんだからあそこはお前がそのまま突っ込んでほしかったなあ。」
激しく」≒「楽しんで」だった私の記憶。
20年以上経った今も忘れられない。
もうひとつ。ラグビーという競技は夏になると長野県にある菅平という高原に全国から集まって合宿を張り、全国の学校と練習試合に明け暮れるというのが習わし(たぶん今も)。
何日目かは忘れたが、広島工業高校という学校と練習試合をした時のことだ。
私はお世辞にも運動神経が良くなく、人の何倍もやらないとスポーツも勉強も一人前のことができない人間だった。なのでラグビーで重要な「タックル」がヘタクソだった。それはそれはヘタクソ。とても大事なのに。
ただの一度だけカンペキに決めることができた記憶がある。それがこの広工との試合。
相手ボール。先述したラックサイドから相手が飛び出してきた。その瞬間を狙い澄ましたようにカンペキなタックルを決めることができた。
嬉しかった。あの感触は今でも覚えている。
「激しく」≒「楽しんで」だった私の記憶。
それはもひとつある(長い?もうちょい🙏)。
私は大学(MARCHに行きたい人間がスベリドメで受ける私立理系単科大学だったが)に入ってラグビーを続けようと思ったが親の理解が得られず悶々としていた。
「大学は勉強するところだろ。」
たしかに。オトナになった今、私もそう思う。
でも溢れ出る闘争心を抑え込むのは難しかった。
イキサツは忘れたが、当時下宿していた学生寮の近くに伝説の虎の穴があることを知った。
ノアの迷選手 丸藤正道選手も修行を積んでいた旧スーパータイガージム。
当時はPUREBRED大宮と名を変え、大和魂 エンセン井上が代表を務めていた。
高校、中学とPRIDE直撃世代である私は即入会。
石川真選手や野中公人選手に師事しながら身体を鍛えた。打撃以外はそれなりに上手くやれていた(と思う)。柔術では青帯を取れた(クソ)。
一度だけ東京支部(現キラービー)から今は亡き山本KIDが遊びに来ていた。
どういう経緯かわからないが、KIDとスパーをすることになった。しかもマスでだ。
それはそれは恐ろしい時間だった。ウエイトではおそらく20kgは差があったと思うが何もできない。かつてPRIDE.18でセーム・シュルトと試合をした帝王高山善廣が試合後に
「石で殴られているようだった。」
と述べていた恐怖の感覚を体験することができた。
「ああ…『プロ』って人じゃねぇな」と。
月日は流れ、アマチュア修斗出場者を選考するための道場マッチの日が来た。
相手は40歳のオヂサン。体格は同程度(私は当時181cm 83kg 今より小さい…)しかしその方は元プロキックボクサー。正直打撃は凄かった。動きはもうトロかったけど、ぶっちゃけ怖かった。私はやはり格闘技もヘタクソだったのだが、ラグビーという「知識と経験の蓄積」だけはあった。
格闘技の賢者 高坂剛もラグビー日本代表にタックル指導に来ていた。格闘技とラグビーには親和性があったのだ。
得意だったのはローとミドルを散らしてのタックル。寝技はヘタクソだったくせに。
ゴングが鳴る。
オヂサンはバンバンと蹴りを入れてくる。
痛ってぇ。それはそれは痛ってえ。
どこが目標だったのか知る由もなかったが、オヂサンは総合に再起をかけている気がした。
ヘタクソな私だったが「痛み」に対する「免疫」はあった。それなりに自分がはタフなのだと格闘技をやってわかった。
相手は元キックボクサーとはいえオヂサンだ。きっと疲れる。そうすれば生まれる「隙」がある。そして私には一撃必中のタックルがある。菅平を思い出せ。そしてオヂサンのスタミナは尽きた。
ローを散らしてみる。撒き餌に食いつくオヂサン。
狙い澄ましたタックル。決まった。あっさり倒れるオヂサン。
アームロックを狙いつつ時間を稼ぐ私。
試合終了を知らせるゴング。
判定勝ち。
しょっぱい試合ですみません!
タックルを決めた後は有利なポジションを淡々と維持するというクソみたいな試合での勝利。格闘家って大変な仕事だ。
ギャラリーにいたジムの仲間たちは見ていてきっとつまらなかったと思う。
ただ私は「楽しく」試合ができた。私にとってはそれはそれは「激しい」試合だった。
これも「激しく」≒「楽しんで」な経験だ。
長くなったがキメェ「自分語り」はここまで(いないと思うが読んでくれた方はありがとう。あなた、変ですよ)。
そう、「楽しんで」って「激しい」のよ。
2024年、角田奈穂はプロレスを「楽しんで」と言っている。
つまりどういうことか。
それはそれは「激しい」プロレスを我々に提供してくれるということなのだ。
みんな、角田奈穂に期待しようぜ!応援しようぜ!
みずぴょん狩り、あるぞ!なあ!
奈穂さん!2024年という1年を楽しんで!
K+1.0になることを信じてる!
※会場で、路上で私をどうにかしてやろうと思っているアンチさん。私、こんな身体になったけどあなた方よりは強いとは思う。来るなら覚悟してきてちょんまげ。