暑い。暑い毎日。

毎年更新される「観測史上最高」

不快指数が増すだけなのだから、もう観測しなくていいのでは。


そういうことを言ってはいけない。


夏なのだ。暑いのだ。不快なのだ。

夏だから。暑いから。そりゃ不快だ。

そのための涼。そのために涼。シンプルな話だ。

夏になると無性に摂取したくなるモノ達が私にはある。

私の夏5選。


1.ナビィの恋


夏といえば映画。夏だから映画。

映画といえば夏。映画だから夏。

そうなのだ。夏には映画の楽しさを加速させるチカラがある。

そんな中、この作品は外せない。

聖地巡礼。そんな青臭いことをした唯一の作品。

沖縄本島近くにある粟国島。

民宿で借りた軽トラに乗り数十分で一周できてしまう小さな島。

都会暮らしの女性が生まれ故郷に帰り決意を固める。その過程が果てしなく「夏」なのだ。

西田尚美というステキな役者を知ったのもこの作品。

あれから何度沖縄へ足を運ぶことになったか。

コロナで明らかになった医療体制の脆弱ささえ改善されればいつでも移住したっていい。


2.八月の金貨

初めて読んだのは小学生の頃。
つまりは児童書だ。
けれどもいまだに夏になると不思議と手にとってしまう。今も当時の本が棚に入っている。どこに居を移してもしぶとくついてくる。手放せない、年に一度だけ手に取るマスターピース。
夏という季節の「ジュブナイル」との親和性の高さはいったいなんなのか。
出版社が提示するあらすじは、

1945年8月14日、敗戦の前日にタイムスリップしてしまった研治と信子は、少年時代の信子の父親に出会った。

売る気があるのだろうか。しかし本当にそうなのだ、それだけなのだ。

電子化はされていない。紙だからこそ伝えられる「気温」がこの本にはある。



3.桃太郎


新潟ご当地アイスである。

桃味のガリガリくんである。

着色料てんこ盛りで色付けである。

不健康さこそが嗜好品としての条件なのである。

あまねく新潟県内のばあちゃんちの冷凍庫には必ずコレが入っているのである。

ガリガリくんでは夏は来ないのである。

桃太郎 食えば轟く 夏の風



4.H2

こちらも夏になると手に取ってしまう。取らなくてはならない作品。

色々意見はあるだろうが、小中高大社と人生を紡いでいっている中で最も楽しかった、濃かった、詰まっていたのは高校時代だという人は多いのではないだろうか。私もそうだ。

なぜそんなに過去にとどまっているのかと指弾されたことがある。

でもいいではないか。なんにもないより。すがれるモノがある人は強いと思っている。今を生きる、戦うためには過去というバネが必要だと思っている。

スポーツを、野球を真剣にやったこともないろくでもないオトナ達が開催期間と時間の是非を問う、槍玉にあげられている野球。わたしはもはや「国技」だと思っている。そんなことより高校球児には一度しかない刻を一所懸命に過ごしてほしい。

そんな高校時代を追体験できるのがこの作品だ。

毎年読み終わるたびに、はるかちゃんかひかりちゃんかで自分の中で揉める。

何度でも私はループするだろう。今を生きるために。人はバネがないと生きていけないのだから。



5.学校の怪談

はずせない。

Amazonプライムで観れるにもかかわらず、ついにDVDボックスを購入してしまった。

ボックスに縮刷版が入っているにもかかわらず、当時のパンフレットをメルカリで購入してしまった。

夏というのは「あの頃の夏」こそが「夏」だと思っている。だから今年、今日、今の夏は「夏」ではない。なにかをフックに、トリガーにして「あの頃」にリープしなければ「夏」は来ないのだ。

長年最新作が待たれる中、今まで4作品が公開されている学校の怪談。

夏を感じたければ、1、2、4だろう。3は監督がカッコつけてしまいちょっと変なことになっているのでスルーでいい。

1と2でジュブナイルしたら4で涼をとってほしい。

今年はもう一周してしまった。さて2周目に行くとしよう。




あ、