近年、潜水艦の静粛性能や運用効率を飛躍的に向上させる技術として注目されているのが、非大気依存推進（Air Independent Propulsion：AIP）システムです。AIPは従来のディーゼル潜水艦が水上航行時に必要とした空気を利用せず、潜航中でも長期間にわたり高効率で航行可能にする技術であり、世界の海軍装備市場において急速な成長が見込まれています。2025年に入った今、AIP市場は複数の技術の進化、地政学的要素、および軍事戦略の変化に伴って新たな成長局面に入っています。
AIPシステムには、主にスターリングエンジン、燃料電池、クローズドサイクルディーゼル、MESMA などの方式が存在しますが、最も注目を集めているのは燃料電池システムです。ドイツのThyssenKrupp Marine Systems（TKMS）やスウェーデンのSaab Kockumsは、燃料電池AIP搭載潜水艦市場でリーダー的存在であり、同技術の信頼性・性能向上に拍車をかけています。海軍技術ジャーナリストである田村宏氏によれば、「現代海洋戦略において、AIPはコストとステルス性の両立を叶える中間解であり、世界各国がその導入に積極的な姿勢を見せている」と指摘されています。
市場のトレンドとして、まず重要なのは、AIP搭載潜水艦の需要の急速な拡大です。従来型ディーゼル潜水艦に比べて、AIP搭載艦は潜航時間を大幅に延長できるだけでなく、原子力潜水艦に近い運用性能を、低コスト・低リスクで実現できる点が評価されています。具体的には、日本のそうりゅう型をはじめ、ドイツのU212クラスやスウェーデンのA26、韓国のKSS-IIIなど、多くの海軍でAIP搭載艦の配備が進んでいます。中国も097型を開発中であり、この分野への投資が加速しています。
特にアジア太平洋地域におけるAIP市場の伸びは目覚ましいものがあります。中国、インド、韓国、オーストラリア、日本など、周辺国間の海洋安全保障に対する懸念の高まりが背景にあり、AIP搭載艦の建造が活発化しているのです。英IHS Jane’sの防衛アナリストDinesh Kumar氏は「アジア太平洋の急速な海軍近代化が、AIP技術獲得と運用競争を激化させている。特に南シナ海、東シナ海、インド洋など複雑な安全保障環境が、長期潜航が可能なAIP搭載艦の需要急増の原動力だ」と分析しています。
欧州市場でもAIP技術の高度化と普及が進行しています。ドイツは燃料電池AIPの技術リーダーとして、多数の輸出実績を持ち、トルコ、イタリア、ノルウェーなど欧州各国にもU212/U214型潜水艦のライセンス生産や輸出が行われています。フランスも独自技術（MESMA方式）を持ちながら、新型潜水艦Barraなどで市場シェア拡大を図っています。英国やロシアについては、原子力潜水艦の優位性を堅持しながらも、AIPの低コスト性や戦場環境に応じた運用の柔軟性に注目し始めています。
北米市場に視点を移すと、米国海軍はこれまで原子力潜水艦運用に依存してきましたが、今後の予算制約や多様化する戦略需要に応え、AIP技術の研究開発を加速させているという情報もあります。Lockheed MartinやGeneral Dynamicsといった大手防衛企業もAIP関連技術の知見獲得を進めており、「今後、米国海軍が中型・小型潜水艦にもAIP導入を本格化させる可能性は高い」とMarine Technology Societyの専門家Elizabeth Wood氏は指摘しています。
技術進化もAIP市場トレンドを大きく左右しています。2020年代前半まで実用の中心であったスターリングエンジンや各種クローズドサイクル方式に加え、燃料電池が飛躍的に高性能化したことで、潜航時間の大幅延伸（数週間単位）が現実化しつつあります。また、水素や酸素など消耗品の管理手法の革新、高密度蓄電技術の導入により、AIPの信頼性・運用効率が著しく向上。サンディエゴ海軍基地の技術担当者Samuel Lee氏は、「燃料電池方式は今やAIPのデファクトスタンダードとなりつつあり、今後10年で更なるイノベーションが期待される」と述べています。
一方で、市場拡大を阻む障壁も存在します。AIPシステムは依然として追加コストや運用保守コストが高く、技術供与や輸出規制などにより普及が制限される国・地域も少なくありません。さらに、燃料電池方式においては極限環境下での安全性・信頼性の確保、スターリングエンジンの低騒音化・保守性向上など、技術面での改良余地が指摘されています。Oxford Researchの市場コンサルタント、Viktor Svensson氏は「AIPは次世代潜水艦技術の核となるが、各国固有の運用要件と拡張性に応じたカスタマイズ力が市場競争の最大要素となる」と分析しています。
価格動向も市場トレンド形成に大きな影響を及ぼします。AIP搭載艦は、原子力潜水艦に比べれば安価であるものの、ディーゼル艦と比べると約30~60％ほど価格が上昇すると言われています。これは、先端部品・モジュール設計に高い技術力と精度が求められること、燃料電池の供給網・保守体制の構築コストなどが背景にあります。近年は量産効果やモジュラーデザインの採用、部品の国際調達網構築によって、コスト削減の取り組みも進行しています。
また、AIP市場の拡大は関連産業への波及も顕著です。蓄電池メーカー、燃料電池素材メーカー、制御システムサプライヤー、防衛IT企業など様々な分野が、AIP技術進化に伴い急速に市場拡大しています。これにより、防衛産業のみならず、民生エネルギーマネジメント技術、材料開発分野でもクロスイノベーションが生まれているのが現状です。テクノロジーコンサルティング企業Frost & Sullivanの防衛分野リーダーHans Müller氏は「AIPの普及は、防衛産業の垣根を超えて関連市場に新たな成長機会を生み出している。今後はクリーンエナジー分野との連携による新産業創出の可能性も高い」とコメントしています。
市場構造を分析すると、世界のAIP関連技術保有企業は、ヨーロッパ、アジアを中心に高度なR&D体制を持ち、米国やロシアもそれに続く開発体制を構築しています。TKMS、Saab Kockums、Navantia（スペイン）、DCNS（フランス）、Hyundai Heavy Industries（韓国）、三菱重工業（日本）等が主要ベンダーです。それぞれが、独自技術・ライセンスポリシーの下、市場競争を展開しています。同時に、共同開発や国際合弁会社設立の流れも強まり、技術標準化と市場創出の取り組みが加速しています。
調達政策の面でも変化が生まれています。政府間防衛調達協定の活用や、オフセット契約を通じた技術移転、現地生産、部品現地調達の動きが活発化。これにより、AIP技術のグローバル普及が進むとともに、各国固有のオフセット条件に対する技術・サプライチェーンの柔軟性が重要視されています。市場専門家である松本真一氏は「防衛調達政策は技術獲得だけでなく、現地産業育成・人材開発・新技術イノベーションにも直結しており、AIP市場でも各国の戦略政策に沿った供給モデルが鍵を握る」と指摘しています。
パートナーシップについては、近年新興国と先進国企業間の協力が増加しています。例えば、インド海軍とドイツTKMSの共同開発、韓国のHanjin Heavy Industriesが欧州型AIP技術を導入したKSS-III潜水艦の開発など、技術と産業の融合による市場拡張が目立ちます。こうした動きは、地域安全保障体制の複雑化とグローバル競争の激化に対応するための、防衛テクノロジー外交の一環でもあります。
市場予測の観点から見ると、2025年以降のAIP搭載艦建造需要は、年率6~7%程度の中長期成長が見込まれています。これは、新型艦艇建造計画の加速、老朽艦の近代化・リプレース需要、既存艦へのAIPモジュール後付け改修など多様な市場要因に基づくものです。また、潜水艦のみならず、洋上無人潜航艇（AUV）へのAIP技術応用も進行しており、非軍事分野での市場拡大も始まっています。
環境対応・サステナビリティの側面も、AIP市場に新たなトレンドをもたらしています。従来の潜水艦は排気ガス、騒音、大量燃料消費など環境負荷が問題視されていましたが、AIPはこれらを大幅に低減できる技術として評価が高まっています。特に、燃料電池方式は排出ガスゼロ、騒音ゼロに近い超静粛性により、今後の環境規制対応やサステナブル技術としての価値がさらに向上すると予想されます。
地域ごとの市場競争構造にも顕著な違いが現れています。アジア太平洋では技術標準化よりも自国産業育成を重視したローカライズ政策が市場拡大の鍵となっており、韓国・インド・中国は独自AIP技術の国産化と同時並行で欧州技術の導入にも積極的です。一方、ヨーロッパでは国際共同開発・標準化を軸に、複数国が共同R&D体制を築き、各国仕様に応じたカスタマイズ力の強化と市場シェア拡大を目指しています。
防衛技術市場に精通した安田弘樹氏によると、「AIPは今後10年の潜水艦市場において最大の成長ドライバーであり、軍需・民需両領域のイノベーションを加速し、その競争軸はコスト・信頼性・運用性能・環境対応と多極化していく。特に燃料電池の高度化に伴い、AIP搭載の次世代潜水艦が主流となる可能性が高い」と述べています。
世界情勢と安保政策の変化も市場動向に直接影響を与えています。ロシア・ウクライナ危機や米中対立による軍事予算の増加、海洋戦略の多様化が、各国政府による潜水艦技術投資の予算拡大につながり、AIP市場への追い風となっています。さらに、海洋資源開発や海底ケーブル保護など民間分野へのAIP技術応用も徐々に進展しており、防衛・産業横断型の新たな市場構造が形成されつつあります。
総じて、2025年現在のAIP市場は技術の高度化、調達モデルの多様化、国際協力・パートナーシップ拡大、環境対応コンセプトによって複雑かつ成長性の高い市場として進化を続けています。燃料電池を中心とした次世代AIP方式への移行や、新興国における技術導入・運用競争の加速、関連サプライチェーンのグローバル化が、今後数年間の市場トレンドを形成し続けることは間違いありません。各国海軍、産業界、技術ベンダー、政策立案者は、それぞれの観点からAIP市場の進化と変革に注視し、持続的な成長機会の確保に向けた戦略を描き始めています。
https://pmarketresearch.com/auto/air-independent-propulsion-systems-for-submarine-market/