こんばんは。

すっかり熱くなりましたね。

 

今までだったら、6月になると必ずと言って良いほど6月はジューンブライドで忙しいのでしょう?と聞かれていた。

 

そこで素直な私は夢を打ち砕いてしまっていたのです・・・

いえいえ、ヨーロッパでは農耕民族が多くこの時期はお仕事の閑散期でお天気にも恵まれ、6月の神様ジュノーは女性の守り神ということで、人が集まる結婚式に良いとされていましたが、日本は梅雨の時期に入って人の集まりにはあまり適さないので結婚式の閑散期となっていました。そこで、日本のホテルマンが「そうだ!ヨーロッパに素敵なジンクスがある!」という事で持ち込んだのがジューンブライドなのです。

その説明を毎年していました~~

 

さて、脳幹出血に襲われたのは仕方がない。自分の責任もあると受け入れています。慈恵医大までは良かったのですが、その後は翻弄される人生になってしまったのです。

 

急性期病院からリハビリ病院への転院。これが翻弄される人生のスタートでした。千葉・柏リハビリテ―ション病院 こんな病院が存在して良いの?と思う状態。お友達も何で私が転院しないのかなと思ったと言っていましたが、私は転院希望も出していたし、病院も候補を挙げて調べて頂いたりしたのですが、先方は転院させたくなく退院をさせたかったので、転院をさせてくれなかったのです。

 

千葉・柏リハビリテ―ション病院では悪化するし・体重は減ってしまうし・色々な事実を書いていたらそれを見てある彼女が「うちに来る?」と言ってくれたのです。彼女の家は府中だったので、慈恵医大の第三病院に転院する理由になると思ってかなり弱っていた私は彼女にすがってしまったのでした。

 

多くの方から、彼女とは全然違うタイプだけれどどんな友達?と聞かれましたが、友達ではなく、10年位の間に2回程あっただけの彼女だったのでした。でも、頼ってしまったのよね~~

 

お蔭で千葉・柏リハビリテ―ション病院を脱出することは出来たのですが・・・

 

ここでは異常な程高い部屋代を求められ、徐々に光熱費なども請求されるようになっていったのです。 お部屋も汚いし・埃や汚れも凄いし・なんと言っても臭いが酷かった。

 

それをまた見た方が助けてくれてくれたりしたのですが、もうこの家にはいられないと思い助けて頂いたら、その交通費も府中の家にいなかった1ヶ月の部屋代も返すようにと言われて大変。

 

私は言語の後遺症もあるので20代から生業としてきたMCの仕事も出来なくなってしまったし、手足も後遺症があるのでフリーのウエィングプランナーも難しく今は仕事が出来ないので生保のお世話になっているのです。

 

家の件も中央区の物件は3月の頭に決めて不動産屋さんがもと世田谷区の区役所に務めていた方で生保担当だったので、2週間くらいで手続きが出来るでしょうとうことだったのですが、中央区役所が受け入れ拒否をしたことから、なかなか決まらず不動産屋さんと管理会社に待ってもらって、しかも遠方から1時上京もして、やっと引っ越しが出来たのです。1瞬でお話しが変わる瞬間も目の当たりにしましたしね~大人の社会ですね~

 

慈恵の第三病院にいる時に介護保険の査定も受けていたのに、住まいが変わると引っ越しから2週間以内に受理されたという書面を提出しないといけないという事も、府中では説明もしてくれなかった・・介護保険を中央区で査定を受けていると話したのに!

で、ちょうど2週間後位に府中の家に介護保険が受理されたと通知が来たのですが、その時1週間くらい実家に荷物を取りに帰っていたので、戻って来てから府中の役所にいったら、2週間過ぎているので無効ですといわれた・・・言ってくれなかったじゃないですか~~

 

そこで、担当者に再度介護保険の申請をしたら、生保を受けていたら介護保険と一緒だからと言って拒否された・・・で、秋に1ヶ月だけ慈恵の第三病院にリハビリに行った際にドクターに「特殊疾病だから介護保険をとっておいた方が良いよ!」と言われてそこ事を担当者に言ったらやっと動いてくれて今年になってから、やっと介護保険がおりて、リハビリに行けるようになったのですが、3月の下旬には府中を出てしまったので、またリハビリに通えなくなってしまった。で、まだ私は府中が見ている状態なので、今月には中央区が全て1から査定をするので介護保険は8月頃まで取得できないでしょうから夏までリハビリが出来ないのです。

 

少しでもリハビリをしたいのですが、許されない。

決まりだそうですが、病気の種類によっても状況は異なると思うのですがね~~まあ、彼等からみたら物ですからね~~

 

でも、負けない私!!