「 自信って、なんでしょう? 」
先生からのこの質問
すぐには答えられなくて
思いつく言葉を並べたのが
金曜日の診察でした...
みなさんのコメントを見て
自分なりに少し考えて
その答えを
書き残しておきます*。
先生は
『 自分を信じること… 』
とポツリ、呟いていました
それが先生の答えでは
ないと思うのですが...
わたしの考えは
ちょっとだけ違っていて
「自」分の「信」念
それから
「自」分の「芯」を持つ
2つめは字が違うけれど
通じるものがある気がして
自信がないと思うのは
人から認められていないとか
誰かよりも劣っているからとか
そういう物差しではないような
そんな気がしています
どんなに人から褒められても
自分に自信がない人はないし
人から褒められなくても
自信を持っている人はいる
わたしは、人から
「 あなたってダメね 」
と言われたことは
あまり、ないように思います
もちろん、悪いところは
ダメよって注意されていましたが
何かが出来なくてダメな奴、とか
怠けてばかりで怠け者、とか
そういう類の意味で
ダメと言われたことは
ほとんどない...はず;
どちらかといえば
しっかりしてるね、とか
頑張ってるね、とか
そう言われることの方が
多かったと思います
だけど、自信がない
つまり
誰かに認められていても
褒められていても
ないものは ない
反対にわたしの従兄弟は
根拠のない自信に満ちていて
「 あの子、自分のどこにそんな
自信があるんだろうね・・・ 」と
叔母さん(従兄弟のお母さん)
でさえ不思議がっているほど
何か飛びぬけている訳でもなく
よく褒められるわけでもなく
だけど、彼は
しっかりと自分の道を
歩いていっている
自分を信じて
自分の信念に従って

わたしの中にあるのは
『 自分は空っぽだ 』
という、思考
客観的に見れば
きっとそうではないけれど
自分で自分の中を覗くと
何も、ないような気がする
正確に言うと
今、縋っているものがなくなったら
自分は空っぽだと思う
ということ
自分が空っぽだと思うから
不安で仕方なくて
何かに縋っていたくなる
高校までは
学業や生徒会活動
それがわたしの拠り所
わたしをわたしで居させてくれて
次の目標をくれる
指針でもありました
受験が近づくにつれて
それが少しずつ 病気へと
変化していきました
その結果
試験の点数への拘りが減って
(単純についていけなかっただけかも;)
成績は緩やかに下降曲線
その代わりに
体重を減らすということが
わたしの拠り所になりました
本当に受験間近には
小論と面接のことで
頭の中はいっぱい
それをやっていれば
わたしはとりあえずの
居場所を確保できていました
だから
推薦試験に合格した後
また 摂食が始まってしまって
思い返せば
いつもそうでした
何かに集中しているときは
摂食の影はなりを潜めて
目標がなくなってしまうと
途端に調子を崩していって
あと、言えることは
人にものすごく左右されやすい
比べてしまう、ではなく
もろに影響を受けてしまいます×
誰かが痩せたいと言えば
わたしも痩せなくちゃって
無理なダイエットを始める
誰かが不調だと聞くと
それが自分のことのように思えて
だんだん悪くなっていく
リストカットも
摂食障害も
最初は誰かからの
影響だったと思います
人のせいにしているのではなく
そんな方法もあるんだって
そう、思ってしまったのです≠
最近やっと
他者からの影響を受けにくくは
なってきたのですが…
誰かの言葉や行動に
惑わされやすいのは
紛れも無い事実です
どうしてそうなるのか
よーく自分に聞いてみると
好奇心旺盛というのが
まず、1つの理由
それから
依存心が強いというのも
理由になるかもしれません
これは、何かに執着する
拠り所を必要とし過ぎる
という、先の話にも
繋がると思います
そして
自分自身の『 芯 』が
はっきりと、見えていない
これがとても大きな理由
なのかな...と(´`;

空っぽな自分を埋めるために
とりあえずの芯を作り上げて
それを頼りに自分を確認する
そんな作業の結果が
今のわたしなんだと思います
空っぽじゃないのに
空っぽだと見えてしまう
その心の意味することは...
もう少し 深く考えて
自分と向き合う必要が
あるかもしれません≠
だけど
自信(芯)がないというのは
自分の信念がハッキリせず
自らの芯が見つかっていない
そういう状態なのかなと
わたしは考えました。○
みなさんから
たくさんのご意見をいただいて
そうだなーって
なるほどなーって
色々と考えさせていただきました*。
本当に、ありがとうございます(´`●
