2009 4/27 『 隙間を埋める言葉 』Ⅰ | 幸せの道しるべ

幸せの道しるべ

〜 こころの軌跡 〜

‥……―――

たまに、躯の内側で血管か何かが破れたんじゃないか

というような感覚に襲われて、

思考はぐるぐると廻り始めて止まらなくなる。

痛みを感じるのは

一般的に『胸が痛い』というときに指す

鳩尾の辺りとは限らなくて、

なんていうかこう、

躯の奥がぞわぞわする感じ。


皮膚の下を何かが這いずり回って気持ち悪いのに、

為す術がない、そんな感じ。

そうなって初めて、

ああ…今きっと自分の中では

何かが飽和状態になっているんだろうな、

ということに気付く。


言葉には出来ない、

もっと核に近い部分でソレは起こっているんだろう、と。

―――……‥

LilyーChouChou

久しぶりに映画を見たくなって、

でもDVDは手元にないのでサントラを聴きました。

………、なんだかな。
すごく素敵だと思うのに、響き過ぎて、痛い。

苦しいとも哀しいとも違う気持ちは『 共鳴 』した、

とでもいえばいいのかな。

昨日は空が泣いたり笑ったり忙しなかったから…

それも相まって少しだけもやもやでした。

何もないのに涙が止まらなかったり。

いったい何を感じとっていたんでしょうね…

Lilyにあてられたかな。

―――…・・・


冒頭の文章は私の現状ではありません。

が、たまに書き留めている文の一部、

小説みたいな小説じゃないでたらめな文章。

その中でも、1番暗くてぐるぐるした類のもの。

最近、歌詞や詩に加えて、

文章を気の向くままに書いています。

抽象的なものから、高校時代を思い出しながら

青春を綴ってみたり、実体験のことから

想像上のことまで、とにかく自由に。


そんなことをするうちふと思ったこと、それは


なぜ人は『 言葉 』を持ったのか
『 言葉 』とは、なんなのか


、と。そんなことに興味を持ちました。

言葉の起源や発達を

学問として学びたいわけではないけれど、

そういうのって本質を知るためには必要な基礎なのかな?

隣にいる誰かに何かを伝えたい、そういう欲求と、

集団で生活していたことによる社会性が絡みあって出来たそれ。


ただの絵や記号、意味をなさない音だったそれらに

意味を持たせ、感情を植え込んでいった結果、

今や意思疎通をはかるのになくてはならないほど、

言葉は生活の奥深くまで浸透してきています。

始まりは身振り手振りが主で、

書き表すといってもエジプトの壁画のようなものが

ほとんどだったはずなのに。

面白いのは、

一つの単語には少なくとも一つは意味があって、

何かしら連想させる対象があるのに、

脳内を漂う思考、感情に対応する言葉は数限りなくある上、

言葉では表せないものもあるということ。


便利なようでいて、

気持ちを伝えるということに焦点を絞ると、

意外に不便だと思いませんか?


『 言葉 = 感情 』

という等式は絶対に成り立たないのに、

言葉一つで舞い上がったり突き落とされたり、

感動して涙を流したり。

この辺になると、言語学、脳科学、

哲学心理学あたりも絡んできちゃうんだろうな。

こんなことなら言語学概論

もっとしっかり聞いておくんだった…な。


とにかく、奥が深い


言葉の響きや流れ、全体のまとまりについては

前々からそれなりに気を遣っていましたが、

最近はそれに加えて

「どんな表現ならより深い処まで伝えられるのか」

という部分も重要視するようになりました。


単語一つ違うだけで、

文章のカラーや受け手の感じ方はがらっと変わってしまいますから。

でも、文章を読んだ人が、

そこから空想を広げられるような空白も残しておきたい。

日本語、うまく綺麗に使いたいな…


「ら」抜き言葉に今だ違和感を感じてしまう私は、

どこかが古びた何かで出来ているのかもしれない。

うん、きっと、そう。

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言葉は手段というか…道具でしかない。


人間の使う、道具。付属品の一種。

だから、本当に伝えたいことって…

文章じゃなくて、直接会ったり、

それが無理なら電話で伝えたいって思うでしょう?


それって、文章だけじゃ足りないって

無意識に思ってるからじゃないのかな。


表情や、ぬくもり、息づかいが

本当の『 言葉 』なのかなって。

言葉は、ただそれに花を添えてるだけ。

重ねる体温のあたたかさとか、

その人の涙や笑顔、仕種。

それだけでも十分伝わる。


私も昔、ドイツ人の子と友達になったことあって…

お互い拙い英語での会話。

小学生だったし、二人の間を飛び交うのは単語だけ。

それでも手を繋いで笑い合って、楽しいことを共有しあってた。

言葉の恩恵は、

喜怒哀楽の原因や

理由を説明できるようになったことかなと思う。


その時なぜ嬉しいのか、なぜ哀しいのか、

なぜ怒っているのか。

それを相手に理解してもらうことは、

ぬくもりや表情だけでは不可能だから。

理由を共有すれば、もっと喜び合える、

謝ることだって出来る。

そんな、優しい使い方をするために

うまれてきたものならいいなって思います。

言葉は、優しい心で使って欲しい。

そして『 言葉 』にしてあげて欲しい。

でも、文章を書く人の立場にたつと…

文字でしか伝えられないわけで。

紙は無機質な存在、

羅列されるだけの文字、そこに、表情はない。

だから、その文字に

あたたかみを持たせるしかない。

『 言葉 』でなく、言葉だけで伝えなくちゃならない。


そう思うと、どう伝えればいいんだろうって

すごく考える。

文字だけで心に浸透する文章って、

どうやったら書けるかな、って。

想像する。

伝えたい情景やその時の気持ちを。


言葉にするとやっぱり平面になってしまうけど、

出来るだけリアルになるように。

そうしたら、読んだ人は想像してくれると思うんだ…

羅列された文字から、

書かれている情景を、心情を、

読んでいる自分の心を。

そうやって、

文字だけの言葉を『 言葉 』に昇華させるためには、

やっぱりまず知る必要があるんじゃないかなぁって思ったの。


言葉を、その意味を。

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Ⅱでは、友人とのやりとりの中で、

なかなか面白いことを書いていたので...

そちらを載せてみようかと思います(´`◎



それにしても

今よりも頭の回転が早そうな気がするのは気のせいかな...;


この頃から、ちょっとずつ浮上していきますが

前回の日記から3・4ヶ月ほど。

その間はどん底状態であまり日記も書いていなかったような気がします×