一つ前の投稿で書いた「僕はラジオ」という映画。
この映画に出てくる校長先生が、
「生徒たちに迷惑がかかったらどうするの!!」
知的障害の青年を学校に招き入れようとするコーチに対して言ったこの言葉。
これを聞いた時に、私の脳内で電流が走り(大げさ 笑)
すべてがつながった。
もう一つ、学校の理事がコーチに対して、
「あの青年から目を離す時間はどのくらいあるのか?あるとしたら1日にどのくらいか?」
という尋問めいた場面。
娘が本格的にストレスで学校へ行くのが無理になり、いよいよ3学期も終わる頃。
心配したお友達がお手紙を書いたから、本人が学校に受け取りに来て少しでも顔を見せられないか?
手紙を書いた子が「もう会えないの?」と心配していて、可愛そうで、、、と。
娘の体調や様子を尋ねることなく、手紙を書いた子を気遣う担任からの電話。
様々な場面で感じたモヤモヤのすべてが、上の映画内の校長の言葉で説明がつくことに気づき、ハッとした。
全校に向けた担任のスピーチ原稿も、当初は娘の起こしそうな問題を羅列し、みんなに適切な距離を求めるような内容で、ぞっとして、私と療育先の医師とですべて表現を書き直し、不要な部分は削った。
そういう軌道修正で一時的にうまくいっても、根本的に学校側の認識が変わらないので違う形で問題が起き続け、そんなことをしているうちに娘が壊れてしまった。
下駄箱の位置を工夫したり、てすりをつけてもらったりというような物理的な配慮はあるし、学校の活動がすべてがひどいわけではない。
子どもたちは素直に偏見なく娘を受け入れて、とても活発に関わってくれた。
楽しめる場面もあったと思う。でも、安心して過ごせる場所ではない。
私が役員で学校に出入りした時に、ふと廊下などで出会う娘は、先生方に宇宙人のように手を引かれて苦痛の表情だった。
連絡帳には、娘の苦痛にゆがんだ表情は「今日はとても真剣な顔つきでした」、落ち込んで元気が無いときは「とても穏やかに過ごしていました」と書かれる。
学校で私の姿が少しでも見えると、辛くなってブワッと泣き出してしまう、それをクラスメイトに見られるのが恥ずかしいので来ないでほしいと娘から言われた。
そうか、と。なるべく役員で出入りするときも会わないように気をつけたけれど。
ちょっとした刺激で涙があふれるほど、張り詰めた気持ちでいるってこと。やっぱりおかしい。
これは、心身を崩す何ヶ月も前のこと↑
身体と精神へのダメージが明らかに症状として出てきて、自己肯定感が地に落ちて自分を否定するような発言が増え、無気力なうえに癇癪も倍増。
当然、それを見守る家族は一緒に寝不足になり、きょうだい児が癇癪に巻き込まれ、親の仕事の効率は半分以下に。
不登校に関しては、進級で担任が変わると、ころっと学校に行けるようになったというケースもよく聞く。
数年越しでこの問題を抱えるご家庭もある。
入学や進級の時期に、こんな暗い話題で申し訳ないけれど、私の中に電気が走ったので(笑)書かずにはいられない。
私は入学式の日に、何かあったらすべて担任を通してください、と校長から謎の念押しをされた。
それを信じて、かなり粘ってしまった。(わたしのバカ!)
振り返れば、子どもの言葉や態度にほとんど答えがあったし、そこを見過ごさないのが大事だと思う。
保育園の時も行き渋りはあったけれど、行けばケロっと笑顔で過ごし、お迎えにいくと帰り渋り(笑)もあった。
学校は保育園と違うというのは分かるけれど、楽しい子は放課後の表情も明るいはず。
応急措置として、もっと早く休ませてあげるべきだったと反省。
子どもの声と、お母さん・お父さん(おうちの人)の直感は信じて良いと思う。
SNSやブログには楽しそうに学校へ通うお子さんの様子もあふれていて、良い環境も増えている様子。
問題なく通えるのが何よりだけど、少しでも不安を感じる場面があったら、担任や教頭・校長以外にも相談先は複数確認しておくのが良いと思う。
スクールカウンセラーや、教育委員会が運営する教育支援センター(適応指導教室)、療育先など?
私も現在進行系だから、どんな順序で誰に話すのが適切なのか手探り。
障害児の受け入れに関しては、地域差や、学校側の慣れ、担当者のカンの良さや経験値だったり。
制度として確立されてない分、現場力がものを言う。お子さんの資質や相性もあるし、お友達にもよる。
そもそも、日本の学校教育がこれだけ不登校児をかかえて行き詰まっている問題。
通えている子はみんなすごい適応力だし素晴らしいと思う反面、障害の有無に関わらずこれって新たな分断だよね?と思う。
「発狂しそう」という表現を、複数の不登校児の親から聞くし、私も同じ。
社会に居場所がないって辛い。