*お迎えシーンや先生との会話は夫からの伝聞です。
保育園にお迎えに行くと、娘がクラスメイトとモノの取り合い(おもちゃではない、どちらかの私物?)をしていて大荒れだったと。
普段は一人で絵本を読んで待っていることが多いので、これはかなり珍しい。
さらに先生から、その前に娘が別のクラスメイトの男の子の顔をひっかいて傷つけてしまったと報告があった。先生はひっかき事件の前に男の子と娘の間に何があったのか知らない。
それを聞き夫は「娘の方から手を出すことはないので、何か嫌なことがあったんだと思います。」と回答。
娘、大荒れ&大泣きの帰宅。
保育園始まって以来はじめて。
確認すると「○○くんに嫌なことを言われた。」ということだけ分かった。
娘が攻撃するほど怒ってるんだから、よっぽどひどいことを言われたんだろう。
こんなこと書くのは悲しいけど、普段から娘を馬鹿にしたり意地悪を言う子たちがいるのを知っている。
クラスには娘に優しい子も、いじわるな子もどちらもいる。
娘の歩き方をふざけてマネする男の子は、遠足で娘が途中から車に乗せてもらったのをズルい!ズルい!と騒いでいた。かけっこが早い子だけど、ぜんぜんかっこよくないね(笑
いじわるな子は「好きじゃない」けれど、保育園は大好きで楽しく通えている。手が出てしまったり泣きながら帰ってくるようなことはなかった。悔しい思いは山ほどしていると思うけど。
年少さんくらいから、お友達との関係で言葉でやり返せなくて手が出てしまうのでは?と心配してきたけれど、そういうことは無く安心していた。
娘なりに保育園では外の顔ですごく頑張っていて、家にいる時よりずっと自立してる。
身の回りのことも頑張るし、癇癪もないし、人に手を出すこともなく、家にいる時よりずっと良い子。なりたい自分になる努力をしている。(その反面、家では甘えたり怒ったりしている)
引き金となった会話の内容は分からないし、本人はその話題に触れるのも嫌で「ママはあっち」と、これまためずらしく私は遠ざけられてしまった。
私「○○ちゃん大丈夫?」
娘「パパに聞いて」
話したくないオーラを出しながら、一人iPadのお気に入りのゲームを集中してやっていると少しずつ落ち着いてきた。
今日言われたことが酷すぎたのか、娘の心が成長していじわるを今まで以上に理解するようになったのか?
原因は相手にあっても、手を出したほうが悪者になってしまう。
じゃあ、言葉の暴力だったらいいの?
目に見えない分、より悪質だと思うけど。
先生も事細かに子供の会話なんて聞いてられないし、どのみち本人が色んな場面に対応する力をつけるしかない。
どこに行っても、嫌な人は居る。
もちろん、優しい人だっている。
知的に1、2年の遅れがある娘が、口が達者な年長児に言葉で対抗するのは至難の技だと思う。
負けず嫌いだけど、基本的に明るくて好きなこと&楽しいことに意識の向く娘は、多少のことはスルーできてるように見える。(本当のことは本人にしか分からないのが辛いところ、無理させてたらごめん)
クラスメイトに恵まれて、みんなに愛される障害児、みたいなお話を見かけるとすごいなあ!!と別世界のことのように思える。
これは地域の民度も大きく影響している気がする今日この頃。
私自身子供時代は、いじめられたこともいじめたこともある。子供の世界は自由で可能性に満ちているけど、その反面、毎日が競争だし残酷でもある。守られてはいるけれど、逃げ場がない分大人の社会より過酷かもしれない。
ひっかいてしまった相手の親は親しい方なので、娘が落ち着いたのを見届けて(夫が)電話。
差別のない世界になってほしい。それが一番の願いではあるけれど。
現実問題、障害の有無にかかわらず摩擦のない人生なんてありえないし、娘自身が理不尽に立ち向かう強さと、くだらない悪意に囚われない柔軟性を身につけられたら最高だと思う。
この夏、たくさんの肢体不自由な方が活躍する、パラリンピックを見て一番感じたこと。
知的障害者は弱者だな。
こんなこと書いて、肢体不自由児・知的障害児を育てている方々や当事者の方に嫌な思いをさせてしまったらごめんなさい。
比べることに意味はないかもしれませんが、素直にそう思ってしまいました。
みんなが華やかな舞台を目指す必要はないけれど、メディアにたくさん登場してその存在が当たり前になることって大きいなとも思う。
悲観はしていないです!