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メロニカ ~パジィのボカロ&DTM~ 一次&二次創作

私は日頃、
ジャンル等に囚われない「自由な作編曲づくり」を心掛けています。
いわば、音のなんでも屋さん、と言っても差し支えないでしょう。
では何故、そこへ行き着いたのか、それをお話してみます。

ギンガムチェック

何故、音の「なんでも屋」になるのか。

他人と話せば、誰しも必ず実感する事ですが、自分の「音の好み」は、他人とは違います。
自分の存在が1%として、
他99%の人は、自分が特に欲しいとは思わない音を好んで聴いてます。
が、
中には好みに多少接点の有る人も居て、大まかな音の趣味の合う人の存在が、大体1割とします。
その1割が、
好みのジャンル、グループ、アーティスト、楽曲の、「ファン仲間」です。

その1%、1割が「自分の好きな音だけが存在する世界」を求めたとしたら、

他99%、9割の人は、自分の好きな音を聴いて、活き(生き)られません。
自分にとっては嫌いな音でも、
その人にとっては「活きる上での、精神的な支え」という「心の音」かもしれないので、
これは弾圧や独裁になり、人と人がぶつかって、戦争になります。

例えば、私は「奇麗な音」だけが聴きたい。
でも、あの人は「五月蠅い音、汚い音」ばかり聴いていて嫌になる。
では、何故その人は、そういった音を求めるのだろう?
それは、日頃のストレス発散かもしれない。ぶちまけてスッキリしてるのかもしれない。
或いは自分の醜い部分とシンクロして、自分だけではないと、同じ存在に安堵してるのかもしれない。
五月蠅い音、汚い音の木霊を聴くと、スッキリして、心から安心できるのかもしれない。
皆、何故その音が好きなのかは、ちゃんと「理由」が有ります。
その理由を聞かずに、その音の世界を抹殺したら、「その人の心を殺す」も同然だと、私は思います。

だから、自分とは合わなくても、人の好きな音を無闇に消してはならないのです。

私は無闇に、人様の心を殺したくはありません。
できるなら、
「その人が活き活きと生きられる」よう、そんな「音による手助け」がしたい。
できたなら、それは「その人を救えた」事になるのです。

その人を「救える」仕事がしたいなら、
例えそれが自分の嫌いな音でも、真正面から携わり、欲しい理由を理解し、形作って、与える。

これが音を「職」にする、音で人間社会と「繋がる」人になる、という事だと思うのです。

好きな音でも
嫌いな音でも

ニーズが有れば、何でも作る。
そうして、人と人とが支え合う。

それが「社会人」そして「音楽人」の「仕事」だと、私は捉えています。

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