宇宙には光を通す媒体で見えぬ姿のエーテルが満つ

潮が満ち潮が引くのと月が満ち月が欠けるのは他人の空似

なみなみと電子を注いで埋め尽くす安定したるディラックの海

枠組みは生まれたときと変わらずに宇宙のサイズは固まっている

レイリーとヴィーンの式は黒体の輻射におけるいずれの色か

体積と圧のカルノーサイクルの効率一は見果てぬ栄華

神様はサイコロ振らぬと天才が拒み続けた量子力学

星雲に電子を並べたブドウパンどんな味するふやけた原子

 

 ガリレオ・ガリレイは近代科学の祖といわれています。その理由は、過去の権威にかかわらず、実験、実証を重んじたからです。ビザの斜塔での実験が有名です。重い物と軽い物をビザの斜塔から同時に落とすと、重い物と軽い物は同時に地面にたどり着きました。それ以前は、重い物が軽い物よりも速く地面に到達すると考えられていたのです。ところが、ガリレイはなぜか潮の満ち引きや月の満ち欠けと関係ないと考えていました。そして、月の動きを考慮せずに潮の満ち引きを地球の自転と公転から導こうとしました。さすがにこれは無理であり、潮の満ち引きは地球と月の関係を無視しては導けません。潮の満ち引きが月の満ち欠けと関係していることぐらい、経験的にわかりそうなものですのに。過去の権威から学問を自由にしたのに、自らが権威となって自らの説に囚われてしまったのでしょうか。それにしても、なぜ固執したのか不思議です。

 カルノーサイクルは、体積と圧力の関係を示すものです。カルノーは、外部からされた仕事は温度差となることを示しました。天才は本質がわかるものですね。ただ、カルノーは、最大の熱効率は1であると考えていたようです。様々な理由により、熱効率は1とはなりません。しかし、このカルノーサイクルは後に再発見され、熱力学の研究に大いに貢献することとなりました。

 この世界はエーテルで満ちていて、光はエーテルの媒体を進んでいるというのがエーテル仮説です。マイケルソン・モーリーはエーテルの存在を証明するために実験を行いました。地球はエーテルに対して自転していることから、地球の自転と同じ向きと反対の向きの光の速度が異なることを想定して測定しました。ところが、光の向きによっても速度の違いは測定されなかったのです。この測定結果からエーテル仮説は否定され、アインシュタインによる光速度不変の法則の原理の発見とさらには特殊相対性理論へとつながります。もっとも、アインシュタインは、マイケルソン・モーリーの実験を知らずに相対性理論を導いたといわれています。

 黒体輻射とは、黒体が放出する熱輻射のことです。理想的な黒体輻射は温度のみに依存します。熱した物質や恒星の発する光が、比較的温度が低いときは赤っぽく、温度が高いほど青白くなるのはこのためです。黒体から輻射される電磁波の分光放射輝度の理論式として、レイリー・ジーンズの式、ヴィーンの式が導出されました。しかしながら、レイリー・ジーンズの式は電磁波の長波長側、ヴィーンの式は電磁波の短波長側では実験とうまく合うのに、逆に、レイリー・ジーンズの式では短波長側、ヴィーンの式は長波長側では実験に合いません。そこで、マックス・プランクが新たな式を導出しました。プランクの式は長波長側、短波長側いずれにも成立します。この式を導出するにあたって、プランクは、エネルギーは連続的ではなくてとびとびの塊であると仮定しました。この塊こそが量子と呼ばれるものです。このプランクの式が量子力学の扉を開けました。

 二十世紀はじめはまだ原子の構造がわかりませんでした。正の核のまわりを電子が動いている土星型モデルと、正に帯電した球形の雲の中を電子が動くというブドウパンモデルが考えられました。土星型モデルだと電子が電磁波を放出して核と合体してしまうという問題があるので、ブドウパンモデルのほうが土星型モデルよりも有力とされていました。しかし、実験により原子の中心に核があること確かめられ、原子は土星型モデルに近いものであることがわかりました。では、なぜ電子が核と合体することなく電子の軌道が安定しているのかというと、原子内の電子の軌道はとびとびで量子化されているからです。電子が安定する軌道が定まっているから、定まった軌道以外の場所には存在することができず、電子と核が合体することはないのです。原子モデルも量子力学によって説明がなされています。

 量子力学の研究が進むと、光や電子は、粒子としての性質だけでなく波動としての性質を持つことがわかってきました。ちなみに、アインシュタインのノーベル物理学賞受賞の対象となった研究は、光量子仮説であって、光が粒子として性質をもつことを示したものです。このように、光や電子は、粒子としての性質だけでなく波動としての性質も持つことから、量子力学の世界では、光や電子の量子状態を存在確率でしか表せません。アインシュタインは、このような量子力学は不完全なものと考えていたようです。しかし、数多くの実験を量子力学は正確に記述します。

 アインシュタインといえば何といっても相対性理論です。一般相対性理論によれば、重力とは時空の歪みであるとして、アインシュタインは重力場のアインシュタイン方程式を導出しました。ここで、アインシュタインは宇宙は静的なものと考え、当初にはなかった宇宙項を入れて方程式を修正しました。ところが、宇宙は膨張していることが観測により確かめられました。アインシュタインは後にこの宇宙項を生涯最大の誤りだと悔んだといわれています。

 量子力学と相対論を融合する理論として、ディラックは電子が埋め尽くされた海のようなモデルを考えました。電子の取り得る状態に制約がないと電子が安定な状態、つまり、エネルギーが最も小さい状態であるエネルギーの底にまで落ちてしまうのですが、パウリの排他律といって、一つ状態には一つの電子しか存在しません。したがって、電子は底にまで落ちることなくいろいろなエネルギーの状態に電子が埋め尽くされるようになるということです。これをディラックの海といいます。面白いことに、排他律を提唱したパウリはこの説を一蹴したといわれています。後に場の量子論が導出され、ディラックの海は否定されています。

 このように科学というのは必ずしも一直線に進んできたのではなく、紆余曲折がありました。しかし、様々な仮説は必ずしも無駄ではなく、多くの仮説を乗り越えてこその定説です。ときには失われた仮説に思いをはせるのもいいのではないでしょうか。

 ながいながい人類の科学史をたった八首で表すことはできません。それに、八首は時系列に並んでいないですよね。その点はご容赦ください。

 

各歌のはじめの言葉に続いて終わりの言葉を合わせると結句までつなげると、「うしなわれたかせつにみるかがくし」となります。

初出かばん2021年6月号