今はあまり見なくなりましたが、昔は2時間ドラマを好んで見ていた私は、そのドラマの中で描かれる”警察”の
使えなかったり
誤認逮捕したり
罵声を浴びせる取調べをしたり
でっち上げたり
…という姿を見るにつけ、警察ってこんなものかなぁ…と子供心に思ったものでした。
高校生の時。
文化祭で古本が1冊10円で売られており、ただ何となく立ち止まった私は、本当に何となく、下の本を購入しました。
『砂の器』(上下巻)
『弘前大学教授夫人殺人事件』
中身も全然見ずに、ミステリーを購入したいな…ぐらいに思ってこれらの本を買い、その買った事も忘れて数年間寝かせていました。
※ちなみに、『砂の器』は大学受験直前に読んだのですが、これはまた別のお話。
そして数年後…
そういえば読んでいなかったな…と、『弘前大学教授夫人殺人事件』を手に取り、読み始めます。
中身を暫く読んだ私は、驚きを隠せませんでした。
(まぁ、内容もよく知りませんでしたからね^^;)
>弘前大学教授夫人殺人事件(ひろさきだいがくきょうじゅふじんさつじんじけん)は、1949年に青森県弘前市で発生した殺人事件と、それに伴った冤罪事件である。
冤罪事件は今でこそ世の多くに知れ渡る事となりましたが、当時はあまり知られておりませんでした。
サラッと書きましたが、それがどういう事なのかと言えば…
表に出なかった冤罪事件は、想像以上に多くあるだろうという事なのです。
取り調べをしていた刑事は水虫持ちで、取り調べの最中に靴と靴下を脱ぎます。
その足を、取り調べの机の上に置きます。
そしてずっと、那須隆氏の顔にその足を向け続けるのです。
只1つ、自白を取る為だけに。
今だったらどれほど問題になる話でしょう。
しかし、この内容が世に出る前までは(ひょっとしたら今でさえも)それらは当たり前の様に行われていたと考えざるを得ないのです。
>市警は第一に那須のアリバイを追及した。弁護士への接見も一切許されず、殴る蹴る、トイレに行かせないといった拷問もあったという。
この事件は刑が確定して服役した後に、真犯人が名乗り出ます。
そこから再審の請求が行われ、事件発生から28年後、刑事事件に関して無罪の判決を受けるのです。
>移り住んだ先の住居にも投石や塀の破壊が行われ、出前が大量に送り付けられるなどの嫌がらせ繰り返された。
警察によって家の環境はバラバラにされました。
無罪の人間をでっち上げてその人の人格や人生を破壊し、いけしゃあしゃあと生きて来た当時の捜査官は、万死に値すると私は思っています。
冤罪は、それほど許されざるものです。
大きくニュースになっていましたが、袴田事件の再審が決定されました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A2%B4%E7%94%B0%E4%BA%8B%E4%BB%B6
>袴田への取調べは過酷をきわめ、炎天下で平均12時間、最長17時間にも及んだ。さらに取調べ室に便器を持ち込み、取調官の前で垂れ流しにさせる等した。
>睡眠時も酒浸りの泥酔者の隣の部屋にわざと収容させ、その泥酔者にわざと大声を上げさせる等して一切の安眠もさせなかった。そして勾留期限がせまってくると取調べはさらに過酷をきわめ、朝、昼、深夜問わず、2、3人がかりで棍棒で殴る蹴るの取調べになっていき、袴田は勾留期限3日前に自供した。取調担当の刑事達も当初は3、4人だったのが後に10人近くになっている。
>これらの違法行為については次々と冤罪を作り上げた紅林麻雄警部人脈の関与があったとされている。
そんなに褒められた人生を歩んでいるとは思っていませんが、人の道はそんなにそれずに生きて来られたのは、こういった反面教師があったからだと思っています。
下手な道徳よりも、絶対に役立つと確信しています。
自分がされて嫌な事を、他人には決して行ってはいけない。
さて、寝ようかな。