・メモ

ニーチェ全集の第1巻を読んでみた。本書を読むきっかけは、数年前に葛西教授がニーチェは哲学以前は西洋古典の文献学の研究者だったという話(多分)を思い

 

[古典ギリシアの精神/¥2,090]

[フリードリッヒ・ニーチェ著、戸塚七郎他訳/筑摩書房(1994/5/9)]

[651p/978-4-480-08071-4]

[西洋古典学、プラトーン、古典ギリシア、宗教、ギリシア人の祭祀、プラトーン対話篇]

[ちくま学芸文庫、ニーチェ全集 1][図][050][kv 00][bb 03

 

 

 

・メモ

本書というか、國分氏と中動態に関する議論を知ったのは、学部3年次の葛西教授の特別講義においてだった。授業の中ではホメーロスのイーリアスについて様々な議論がなされたが、その中心となっていたのは、πείτω、πείτομαιという動詞だった。特に後者は中動態という聞き慣れない単語として現れてきていた。当時は古典ギリシア語の入門編に参加しながら聴いていたので、ここの辺りの授業はさっぱり理解できな今までいた。

 

授業の中ではアッキレウス対アガメムノーン等の会話で用いられていたπείτομαι、なぜ中動態で記述されていたかというと本人の行動が本人自身に影響を及ぼすことがあるためということだ。確かに相手を説得するという行為は説得できて仕舞えば相手がそれに従う、というだけでは決してない。むしろ自分の行動による影響が自分に向かうという傾向があることがある。してみると人間活動は能動態、受動態で表され得る部分が意外に少ないことがわかる。動詞の世界を能動態と受動態で綺麗に整理できると考えていたのは、中動態的な動詞の表現を持たない、英語学習者の偏見なのかもしれないな。

 

本書では哲学の議論における概念についてこの中動態を考慮しての議論が展開していくが、読んでみたはもののこの辺りの理解はほとんどできていない。なのでこの本は近いうちに必ず再読しようw

 

[中動態の世界 意思と責任の考古学/¥2,200]

[國分功一郎著/医学書院(2017/4/1)]

[335p/978-4-260-03157-8]

[能動態、中動態、受動態、ドゥルーズ、ハイデッガー、アテネフランセ、メルヴィル、ビリーたちの物語、ハンナ・アレント、バンヴェニスト、デリダ、スピノザ、カツアゲの問題、カテゴリー論、アリストテレース、]

[シリーズ ケアをひらく][図][007][kv 00][bb 04]