わからなくなったこと | いつかまた出逢える日まで

いつかまた出逢える日まで

好きなこと、書きたくなったことを
書きたい時にゆるゆると

 

ここ最近は家の中に居るとこれに嵌まってる↓

 

 

だがこれについて書きたかったわけじゃなく^^;

一番上の画像がブログのサムネになるんで本日の記事には全く関係ないけど

ただなんとなく、次のやつ↓じゃないものをサムネとしたかっただけで一番目に貼った。

 

 

 

 

わからなくなった、というか悶々してるのはこちらに関することで、まずは二つの記事を↓

 

 

 

かなり長い記事だけどわかりやすかった↑つか知りたいと思ってた事が知れた感じ。

知ってた方にとっては今更感だと思うけど今の私にはここが↓最もストレートに

頭に入って来やすかった部分ということで抜粋。

 

「そもそも「感染」とは「微生物が生体内に侵入し、定着・増殖した寄生の状態」を言います。

粘膜等にウイルスが付着しているだけでは感染と言わず、例えばインフルエンザでは数十万個以上

ウイルスが増殖して初めて「感染」と診断されます。 

 

口の中に菌がいるだけでは虫歯ではなく、歯に穴が開き象牙質や神経まで菌が増殖して初めて虫歯(感染)となるのと似ています。

 

PCR法は遺伝子を数億〜数兆倍に増幅するため、実際には数個のウイルスが付着しているだけの

健康な人も「陽性」になります。その「陽性」を「感染」という言葉で報道するため、

実態のない感染爆発の印象が先行しています。ウイルス付着を感染と言うのなら、全人類が

感染者になりかねません。実際に検査キットにも以下のような注意喚起事項が記載されています。」

 

 

こちらは↑一番目の記事とは反対と言ってもいいだろう記事。

 

 

 

毎回与党のやる事にはより良い策も案も出せないくせにとりあえず「反対反対」と

唱える野党がワクチンに関してはどういうスタンスをとってるのか

テレビは私はもともと見ないし記事としても見かけていないのでわからないが、

たいがい難癖をつけるという意味ではマスコミもそうだから今回最初に出た上の記事でも

名指しされているAE〇Aやら週刊〇潮やらの「反ワクチン」的な記事や見出しは

わかりやすいと言えばわかりやすかったのだが私はむしろ少し混乱した。

なぜならこれまでマスコミや野党側が反対反対と騒ぐものの方が日本や国民にとっては

どっちかというと良いことなんじゃない?って思う事の方が多かったから、

単刀直入に言ってしまうと、もしもマスコミがおしなべて「ワクチンを積極的に打ちましょう」

とでもやってくれたならその方がすんなり腑に落ちるものはたぶんあったのだ。

それだと「やっぱりワクチンは怪しいんだな」と逆にピンとくるものがあったろうってことで。

なのに最初に「反ワクチン」と来るから“より良いこと”はどっちなんだかわかんなくなる

ではないかみたいな、八つ当たり的な、、、 あくまで私個人にとってはということだけど。

我ながらなんともひねくれた思考をしておるなとも思うが。

でもそれくらい不信感しかないってことで。メディア関係になど。

ここんとこのある事に関する報道でもつくづくと、しみじみと、嫌というほど感じた事である。

 

 

でもそうかと思うと案の定と言うべきか、

上に貼った2番目の記事中に「さすがに今回は世論の反発に抗しきれずに

皆さん撤退しつつあるという状況」などという言い方で「反ワクチン」記事に対して

物申す人が出てきてた。

反ワクチン記事に世論の反発なんてそんなにあったの???って思ったのもあったが、

メディアを使った発信で最初に否定的な意見をバッと出しておいて後からその最初の

否定的な物を同じくメディア内で(言ってみれば同業者内で)違う意見として批判した形で

否定意見の上塗りをするとなぜか後からのその意見の方が信憑性が増しやすいという

効果は少なからずあるように思う。

最初に出されるネガティブな意見を悪者にする事により後から出されるポジティブな意見は

ポジティブなだけに更に受け入れられやすいみたいな。

 

そして今日になってまた「反ワクチン」を唱えた記事に対する批判記事(反ワクチンを

書いた雑誌や出版社をこれも名指ししながら)が新たに出てるのを見かけるにあたって

私が感じた事は、「続々来たな。ワクチン推奨の意見が優勢になってきたぞ~」、だった。

ただそう思っただけでそれでもどっちが正しいか正しくないかってことじゃない。

つまるところ良記事だと思うかどうかだって自分の普段からの考えに近いか合ってるか、

または自分が深層部分で求める答や聞きたいと思ってた言葉をどれだけ言ってくれてるか、

単にそんな風に、より自分を満たしてくれるものに偏りがちってとこがある。

で、とりあえず「一部メディアの報道に批判が殺到し(反ワクチン記事が)削除や修正に

追われるケースが相次いでいる」なんて記事が速攻でわざわざ出される意味をまた考えて

しまった。

批判が“殺到”だの“相次いでいる”だの、、なんかこの言い方、

そこまでの現象は見当たらないのに無駄に煽ってるみたいな印象しか受けなかったわ。

最初に出た記事はでたらめですよ~って今ではほぼ一方的に悪者扱いにしちゃって。

どっちかというと反ワクチンの言い分を封じ込める勢いの方があるんじゃないか?

 

 

そう言えば最近になって「実は病院は空いている」なんてのもツイで見かけるようになった。

何がどこまで事実なのか。

たまたまその人の周囲だけがそうだったという事に過ぎないのか。

メディアは誘導したい方にテレビや記事を使って私達を誘導しようとするのは常習だから

そんなこともあってワクチンの事も他を批判しながら声が大きくなっていく方の発信こそを

まずは疑って見よ、という事に私はなるし今後注視していくポイントかなと思う。

なんにせよ都合のいいように誘導されたり刷り込まれたりするのだけはまっぴらごめんだ。

 

けどどっちの意見も一応きちんと耳に入れてもどんなに調べてもどっちが正しいかなんて

わからない時は多々ある。それでも判断はできる。というか、している。

いつだって最後は自分が決めることで。

いくつもの理屈でもわからない時には自分の勘にしたがうことで。

やらずに後悔するよりやって後悔する方がいい(まし)、って考え方があるが、

ワクチンに関してはこれを当て嵌めて考えてはだめなのは言うに及ばず。

体内に入れちまってからの何かあった時の後悔では遅いだろってなもんで。

 

とは言えこの他にも「ワクチンは効く」という断定的なワードを見出しに持って来た記事が

出ていたのもさらっと読んだがそっちは貼る気にならなかったあたりに、

私の中の「こうであったらいいな」や「どっちが受け入れやすいか」という思いはすでに

出ているようなもの。

 

 

ここまでぐちゃぐちゃ書いてきたけど私の判断材料には何より一番目の記事の中盤に

世界のワクチンを牽引する人物として挙がってる名前が私には大いにダメだった

ってことがある。

顔を見た瞬間に胸に冷たいものが走るようなこの感覚を私が感じるようになったのは

上に貼ったこの記事を目にしてからではないが、、、

人口増加を抑えるだの世界70数億人をデジタルIDで管理する計画だの

そんなたかが人間が創造主であるかの如く、生命の操作または全人類を管理するかの如く

神をも恐れぬ思いあがった言動を公然と言ってのける人物だということだけでも私に

おぞ気を走らせるには十分だ。

ワクチンとこの人物を切り離して考えるすべを私が見つけるべきなのか?

けどそれとて例えば懐疑的なものや不快感を覚えるという事は片方だけであり

もう片方にはこちら側にも利するもの(良い面)があるとはっきりしている場合においてなら

切り離してそれはそれこれはこれで有難くいただいてやれ、という考え方は私にはできる

けどどっちも信用が置けないうちは切り離すも何もないではないかという感じだ。

ちょうど先日ちらっと書いたツイッターに対しては(というよりTwitter社の姿勢に対しては)

反感や不信感はあれど自分が情報を手にすることができる便利なツールであるという

メリットがあるばかりに利用はさせてもらってる、、

というような妥協点は見つけられるってことはある。

自分でツイッターやってるわけじゃなくてもすごいお助けアイテムには違いなく。

でもワクチンとそれに関わる人物に関しては切り離して考えたところで今のところ私に

利するものなど無いと感じる。

 

 

 

ちなみに我が家では誰一人インフルエンザワクチンすら打ったことがない。

たまたまと言うべきなのか、それでも誰一人インフルエンザに罹ったこともない。

ん?娘はあったんだったかな・・・?

と今ふと考えてしまったけど罹った事があったとして考えなきゃ思い出せないくらいなのは

軽かったということなんだと思う。って適当な親だな^_^;

厳密には私も夫も息子も罹った事があるのかどうかはわからないって言った方がいいのか。

なんせ「風邪かな?」程度の軽い症状が年に1~2度有るか無いかで寝込むことはなく

病院に行くのも目、歯、耳、という首から上を診てもらうことしかないと言い切れる丈夫さで。

 

別に何が何でもワクチンなんて打つもんか!という変な信念などは持ってない。

ただ、どなたかも言ってたが普段から何かに感染する事で免疫機能が眠らずに動き続ける、

それにより健全な免疫機能が保たれる言うのならそれが一番いい事、というか自然な事

と私は思っている面が大きい。もちろん機能してくれているということが前提で、

それがすでにとてつもなく有難きことなんだと感謝しながら。

 

 

 

これ以降もまだまだ書いたんだけど長くなったしDさんのことにもちょっと触れたので

以下のここ↓に書いたことは別の日に分けることに。

っていちいち無意味なまねをしてみたよ。↓(^^;

 

「                                                                                      

                                                                                                                       

                                                                                                                      」