私が看護師一年目だった頃。
まだなにもわかっていなかった頃。
私の病棟は特別室だから、極秘で入院する人がいる。
その人は、院内の産婦人科医だった。
その人は、子宮体癌だった。
その人は、32歳だった。
とてもいい人でスタッフから慕われていたそうだ。
私は就職して間もなかったから、
その先生のことは知らなかったけど、
みんなが言っていた。
その人は、手術をするために入院していた。
子宮全摘だ。
未婚で、子どもも産んでいないのに、全摘。
そして、子宮体癌は、予後が悪い。
そして、若い人というのは、癌の進行が早い。
何故彼女だったんだ?
どうして、産婦人科医なのに、あえて婦人科の癌に?
何故この若さで?
どうしてこんな良い人が?
考え出したらキリがない。
私がその人と対面したのは、ただの一度だけ。
下膳をするために、部屋に入った。
その時のことを、今も覚えている。
角部屋、南向き。
ノックをして、部屋に入ると、その人は立っていた。
「お食事をお下げしてもよろしいですか?」
声をかけた私に振り返って、
「ええ、ありがとうございます。」
そう言った彼女は、窓から差し込む日の光で逆光だった。
神々しさすら感じる瞬間だった。
ただの一度だけ、ただの一度だけなのに、
その人の人柄が伝わってきた。
手術は成功し、術後も順調。
でも、今後は化学療法もしていかなければならない。
つまり、そういうこと。
その人のところには、働いていた産科病棟の看護師がよく見舞いにきていた。
極秘で入院していたから、そんなに多い人数ではないけれど。
その看護師は、来るといつも、
「ホットタオルをもらえますか?」
とスタッフステーションに声をかけていた。
きっと、いつも清拭をしていっていたのだろう。
私たちの歓迎会の日、他の科の医師達が、
その人の話をしていた。
「あの子は本当にいい子なんだよ…」
そう言って、先生たちは泣いていた。
その人が今どうしているのかは、知らない。
噂で、うちよりもっと良い医師がいる病院を紹介されていったと聞いた。
きっと、どこかで辛い抗がん剤治療を受けたのだろう。
その頃は、その年頃の人が入院することが多かった。
そんな時、とてつもなく不安になっていた。
私が今努力したところで、
この命は突然、何の前触れもなく絶たれてしまうのではないかと。
私が日々もがいて、抗って、努力したことは、
何にもならないんじゃないかって。
無駄なんじゃないかって。
疲れてしまうたびに思っていたよ。
「何でわたし、こんなに頑張ってるんだろう?」
やめちゃえばいいじゃない、疲れることなんか。
明日はもうこないかもしれないんだし。
もやもやしながら、生きていた。
心が荒むと、よくそんなことを考える。
でも、今、その人のことを思い出した。
もし、私みたいな人が、どうせいつか死ぬんでしょって、
何にも抗わずに生きていたら。
その人に、怒られるんじゃないか、
その人を、悲しませるんじゃないか、
どうして、命があるのに、それを使わないのって。
逆の立場だったら、そう思っちゃうかも。
うん、いつかは終わる。
終わりは全ての人に訪れる。
なのに、怖がっていて、
「生きる」ことをしないのは、
意味がないよね。
みんな終わるのに、みんな生きないってことだもの。
じゃあ誰が「生きている」?
生きなきゃ、
生きなきゃ。
私は生きるね、いつか終わる、
その日まで。
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