鎌倉二十四地蔵尊 十六/十七番 浄光明寺
鎌倉幕府6代執権・北条長時が、開山に真阿を迎えて建立しました。
本尊の阿弥陀仏三尊像(国重文)は宋の影響を受けた美しい造形です。 
中央の阿弥陀如来像の衣の装飾には、「土紋」といわれる鎌倉地方特有の技法が使われています。
掲示板より

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仏殿
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以前は阿弥陀仏三尊像が安置されていたが、現在は収納庫に移され仏殿には、三世仏が安置されています。

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客殿

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境内図

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不動堂と稲荷社
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庫裏
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鎌倉二十四地蔵尊 十六番 網引地蔵
鎌倉屈指の石仏で、漁師の網に懸かり海から引き上げられたとの伝承から「網引地蔵」と呼ばれています。
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鎌倉二十四地蔵尊 十七番 矢拾地蔵
足利直義の念持仏と伝えられ、
戦いの中で直義のためにこの地蔵が矢を拾い集めたとの伝承から
「矢拾地蔵」と呼ばれています。


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<浄光明寺の廃寺の危機>
鎌倉幕府十六代執権北条守時の妹登子は足利尊氏に嫁ぎました。
しかし、1333年(元弘3年)、尊氏は後醍醐天皇方に付き新田義貞とともに鎌倉を攻め、
北条守時はその年の5月に洲崎で自刃しました。
鎌倉幕府は滅亡し、鎌倉幕府最後の執権となりました。
浄光明寺は、北条氏の寺でしたが、登子が足利尊氏の妻だったことから、廃寺を免れ以後足利氏によって守られました。

<秘仏・阿弥陀仏三尊像>
木・土日・休日の天気の良い日のみ拝観できます。

この阿弥陀仏三尊像は2011年東京国立博物館「法然と親鸞 ゆかりの名宝」で一躍脚光を浴び、大人気となっています。 

自転車 後記 自転車
阿弥陀仏三尊座像は圧巻、必見です。
土紋はもともとはカラフルでお洒落な阿弥陀様だったそうですよドキドキ 
浄光明寺パンフレット、住職の説明を参照にしています。

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