冬至に宇治橋の鳥居の中央から朝日が登ります。幻想的!
これを2000年前に造ったんです。
日本って、凄過ぎですよね!
{D807CF03-F8E0-42CB-98CE-65F05681EEF8:01}
伊勢志摩経済新聞より転記させていただきました。

さらに
{FFB3DC20-717D-462B-BA1A-C05F8A367233:01}
Google mapで作製

伊勢神宮内宮と京都の賀茂別雷神社と大江山口の元伊勢内宮とピッタリ一直線上に並びます。冬至の朝日はこの直線上から登ります。
冬至は太陽の力が一年で一番弱く天照大神の力も弱くなります。そのため、冬至に賀茂別雷神社と元伊勢が天照大神を守っていると云われています。
Google mapで上記の地図を作って分かったのですが、伊勢神宮外宮はこの直線からほんの少し外れています。内宮に賀茂別雷神社と元伊勢の力が直接届くように少し外したのでしょう。
2000年前の測量の技術凄いですね。

{DB808D2D-4B08-4B3F-BCB8-B2CC34613CDA:01}
後日UP予定ですが、賀茂別雷神社に伊勢神宮の方向が示されています。つまり、冬至にこの方向から朝日が登ります。

伊勢神宮の参宮道の灯籠
{E24ADB53-5286-47C1-A51C-0BB44BFDB8FC:01}
伊勢神宮の参宮道の灯籠には、菊の御紋とダビデの紋と同じ紋章


まだまだ秘められた謎がありそうです。
日本って、凄過ぎ!

伊勢神宮 -5-

おはらい町・おかげ横丁
{3B9C336A-894B-49AA-88D9-5493A17295B0:01}

{CC00C2F4-B915-4AFC-9ACC-322A38D6AD8C:01}

{B566F733-00B4-4013-B7FD-78B37AFD86D3:01}

伊勢市駅から伊勢神宮下宮への参宮道
{13BD9F82-019C-4B22-B352-065D7095AE0D:01}

{21ADF86D-F8AD-4361-91B4-C1C0F4A355E7:01}

{F6323CE1-E3B9-49B8-9406-D68CA2FA2C0C:01}
お昼です。

斎王祭り

斎王(さいおう)または斎皇女(いつきのみこ)は、伊勢神宮または賀茂神社に巫女として奉仕した未婚の内親王または女王(親王の娘)。

伊勢神宮の斎王を斎宮、賀茂神社の斎王を斎院とも称し、斎宮は古代(天武朝)から南北朝時代まで、斎院は平安時代から鎌倉時代まで継続した。*Wikipedia より

{1E3BD8FD-02A2-4C3C-B2B4-B1D992BCAA8B:01}

{568FE6C0-3AB2-425D-A30F-6FC92D0239A6:01}

{3DCB36F3-A564-44AF-9562-00F3873393FD:01}










伊勢神宮 -4-

伊勢神宮内宮

{CF429956-C02A-42C8-B4C4-9B08ABE741AA:01}
正宮を参拝するのになんと1時間待ち!
凄い人です。

{BB056888-43B8-4FE0-819B-A1DE40002375:01}
やっと、正宮へ

{8790ED2E-7B34-46DD-B305-386428F06D27:01}
横に廻ると

{46558B71-0303-451C-B64E-713E784EBD54:01}
裏に廻ると古殿の正宮が少しだけみれます。伊勢神宮のHPと同じアングル

{EA70DB79-8728-491B-BA84-EFFC7A6CE161:01}
新殿

{01DFC3C2-4FDC-4F21-8605-00CEFDEA4171:01}
荒祭宮新殿

{4D3B8E4D-8E53-4645-AE86-1633F5B79736:01}
荒祭宮古殿

{BAC92BBD-47A6-4590-AF18-D1703D2CC466:01}

{02A4E3F5-747F-499B-800D-8341BDF40B57:01}
パワースポット
四至神(みやのめぐりのかみ)

{63DCF6DB-48D8-4F93-81EE-F9D6DB76602B:01}
森林の中にある大山祇神社と子安神社
幻想的です。


伊勢神宮 -1-

伊勢神宮
一般に 「伊勢神宮」といいますが「神宮」というのが正式な名称です。
神宮とは、伊勢の宇治の五十鈴川上にご鎮座の皇大神宮(内宮)と、
伊勢の山田の原にご鎮座の豊受大神宮(外宮)の総称。
両大神宮の正宮には125の宮社を数える。

$湘南の歴史を走る-image


外宮
神宮参拝の順路は、
まずは下宮からというのが古来からの習わしということでまず、下宮に行きました。

$湘南の歴史を走る-image
伊勢市駅からまっすぐ行くと第一鳥居口

$湘南の歴史を走る-image
第一鳥居

$湘南の歴史を走る-image


$湘南の歴史を走る-image


$湘南の歴史を走る-image
手水舎


$湘南の歴史を走る-image
勾玉池(まがたまの形をしている。)
photo:01


photo:08
神奈川県による小出川・千の川洪水想定図と同じ場所のGoogle地図

危惧されることは、小出川と千の川に囲まれた地域は、
なんと公共施設がたくさんあるのです。


photo:03

photo:04
茅ヶ崎保健福祉事務所です。
防災倉庫は、千の川沿いにありますね。川が増水し溢れたら、防災品は???

photo:05
今までの茅ヶ崎市役所の入り口は、一段高いところでしたね。

photo:06
新庁舎建設予定地・奥の緑の先が千の川です。

photo:07
イオン(旧ジャスコ)前交差点、ここは今でも雨がたくさん降った時は水が溢れ、
交通渋滞をおこしています。
この隣接地に茅ヶ崎市地域医療センターが移ると聞きました。

千の川は、茅ヶ崎で一番大きな砂丘である国道一号線に阻まれ南下できず、茅ヶ崎中心地を東から西に流れています。
今宿で小出川と合流して、やっと南下して海に出ます。
このことから考えて、ゲリラ豪雨のような短期集中の雨に弱く、氾濫したら水がなかなか引かないことが予想できます。

ゲリラ豪雨が、ニュースをにぎわしているこの頃、
「これまでに経験したことのないような大雨」が茅ヶ崎に降ったら
茅ヶ崎中心部は、大丈夫でしょうか??


関連ブログ 千の川
photo:01
相模川沿岸域で気になることがある。
それは、平塚市津波浸水シュミレーションビデオである。
その中に
photo:02

photo:03

銀河大橋の少し上流、平塚側に自然堤防を切って洪水時、水を逃すようになっている。はっきりわからないが江戸時代かその前に作られたのだろう。
実は、自然堤防は、茅ヶ崎側が少し低い。つまり、増水時、茅ヶ崎側に水が溢れていたことを意味するだろう。
これを防ぐため、当時、家のなかった平塚河口付近に霞堤を作り水を流し、洪水を防いでいたと考えられないだろうか?




「ゲリラ豪雨」という言葉がよく聞かれるようになっています。
では、茅ヶ崎に「これまでに経験したことのないような大雨」が降ったらどうなるのでしょうか?
1時間あたり100ミリを超える豪雨が数時間降ったとシュミレーションしてみましょう。
相模川、小出川、千の川の氾濫は、大丈夫でしょうか?

photo:01
相模川


photo:02
小出川・千の川


上の二つは、神奈川県ホームページに掲載されている浸水想定区域であるが、作られたのが、18.6.1 /「50年に一度の大雨」を想定となっている。
「これまでに経験したことのないような大雨」では、この浸水想定区域を超えることは、間違いないだろう。