3.118年前のあの日。私たちは横浜に住んでいて私はソータを妊娠中で産休に入っ... View this post on Instagram 3.11 8年前のあの日。 私たちは横浜に住んでいて 私はソータを妊娠中で産休に入ったばかり。 ユーガは熱が出てしまい保育園をお休みし,カデは久々の有休を取り大好きなみなとみらいへお出掛けしていた。 突然の地震。 あ、揺れてるな。 そう思ったのもつかの間、 今まで感じたことのない大きな揺れとなり、私は大きなお腹で5歳のユーガを抱きかかえて外へ飛び出した。 古びたアパートが壊れるかもと怖かった。 外の世界が大きく揺れていた。 同じく飛び出したご近所の方々と集まり安全を確認し合う。 おさまって家に入り カデに電話するけど繋がらない。 ドキドキして苦しかった。 しばらくして テレビをつけるとものすごい光景が写った。 連絡がついたカデは帰宅難民となり、あるカフェのご厚意で泊めていただいた。 それでも落ち着かず、私は眠れない夜を明かした。 たくさんの人の命があの日に奪われて まだ大切な人に会えていない想いもたくさんある。 去年も書いたけど 保育園に行ったきり帰らない我が子を探し続けるパパママの映像が今も頭から離れない。 あれから8年。 今日も私たちはバリで暮らしている。 みんな一緒に。 それは奇跡。 あの日亡くなった多くの命に心を寄せる。 #バリ島 #バリ島暮らし #311 #東日本大震災 #あの日を忘れない #balilife #tsunami Kumikoさん(@putrikumiko)がシェアした投稿 - 2019年Mar月10日pm11時05分PDT