娘の再発がわかったのは、ゴールデンウィークあけ。

4月は思いのほか、学校に行けて
娘のガンバリをほめたたえつつも

こんなに頑張ってこれから続くのか?
私の役目は、がんばらせ過ぎないことなのに
出来ていない。そのために、また体調を崩したらどうしようか?


そんなことを思っていました。

体調を崩す=再発 とは思っていませんでしたね、当時は


だって、

ココでも親バカで

「娘に限って再発はない」と信じていた

いや、信じていたかったから、そう思い込もうとしていた

のかもしれません。



再発がわかっても、

「明日からすぐ入院」とはならなかったので


「とりあえずディズニーシー」に家族で行きました。


ずっと笑ってて、ずっと楽しそうだった。。。






それが、いざ、再入院となった途端

息苦しそうで


再入院してから

どんどん悪化していって



真菌性の肺炎を起こしていたのです。




それからは


電気をつけると「まぶしい」というので
日中も暗いまま

ゴハンもほとんど食べられず


個室にこもりきりになります。


娘はほぼ一日中、苦しそうで

寝てるか、起きていても朦朧としているか



酸素をマックスに近いくらい送り続け

酸素だけじゃ乾くからと

湿度も加えて、これががーがーうるさい


テレビの音も聞こえやしないって勢いで


どれくらいの期間だろう。
朝か昼か夜かってわからない日々でした。


このころ、思ったこと

「ごはんって大切だな」


ってこと。

ゴハンを食べないと、本当に

昼夜の区別がわからないんです。

3食って大事。。。





再発後、再入院して

白血病に向かう前に

肺炎と闘って


なんとか、倒せないまでも抑え込むことに
成功はしたのですが



(この真菌性の肺炎は、
 娘が亡くなるまで完治することはありませんでした)





娘と私の闘病生活をコロッと変えてしまいました。



初発の時は


何も知らない私たち親子に
あれこれ教えてくれたママたちや闘病仲間がいたけれど


このころからは


誰とも仲良くならなかった。。。




それにはひとつ

初発の時にも亡くなった子がいて
退院していく子もいて

それなりにメールのやり取りをしていても


ツラいことがたくさんあって




だから、「今度はもういいや」っていう私の気持ちもありました。




娘は

初発の頃はまだ中学生ですから

幼稚園の子とも楽しく遊んであげることができたけど



いろいろな経験をして

急にぐっと大人になってしまったことや


能天気に笑えなくなってしまったことや


再発してしまった自分と、無邪気な子たちを

「仲間」とは心からは思えなくなってしまったことや・・・・


たくさんの気持ちがあったと思います。






肺炎を何とか押さえ込んでからも


ずっと閉じこもりの闘病生活を送ることになりました。




それを支えてくださったのは

やはり病院のスタッフさんたち。



いつも満床で、重症な子たちがものすごくたくさんいる病院なのに

娘はずっと個室にいさせていただきました。


個室のやりくりに苦労されているのは
初発の時、見ていた知っていただけに

とてもありがたかったです。


でも、娘を見ていると

とても、大部屋には暮らせない…そんな精神的状態でした。


再発してからは

精神科の先生も、時々覗きに来てくださって

他愛もない話をしながら

様子を見ていてくださったし



閉じこもって笑えない時期も

「それでいいよ」って

「ここにいるだけで十分がんばってるよ」って


ドクターもナースさんも認めてもらえたことが



とても助けになったなと思います。





精神的な支えってことで

スピっぽい話を書こうと思っていたのですが



その前に


大切なこと。病院スタッフの皆さんに


本当にお世話になったことに心より感謝しています。





娘が生きていて

で、初志貫徹してドクターになってたら


きっと、「ドクターになったよ」って

病棟に報告に行ったんだろうな。。。






娘は、来世できっと


夢を貫くだろうと、私は信じています。