「渡る世間は鬼ばかり」

というドラマがシリーズで流行ったのは

いつ頃だったかな。。



渡る世間は鬼ばかり



「渡る世間に鬼はない」

ということわざをもじって


「鬼ばかり」としたみたいですが



このドラマが流行っていた頃は


ドラマで泉ピン子さん演じる

中華料理店「幸楽」の

女将さんの苦労ぶりや、



人間関係のもつれ、

いざこざ話に、

共感する方々が

多かったんだろうなぁ。。

と思いますびっくり




今、

「渡る世間は鬼ばかり 意味」 

で、search AI 検索🔍をしたら



「自分の心の中に

鬼がいるから、

周りの人が

全部鬼に見えてしまう。


という意味の、反語。」





と、出て来ました。




今は検索すると
何でも教えてくれるんだなぁ。。。
 


そんな事をAIが教えてくれるなんて、

自分の心の中と
向き合うことの大切さが

一般化されているようにも感じます。




ひと昔前は、、、。


自分の心に
目を向けるのではなく


それこそ、このドラマのように


「〇〇がこんなに酷いことをする」
「〇〇のせいで大変な目にあった」

とか、、、。


目の前に現れた世界を、
外側の誰かや、現象のせいにして、


その世界をメリーゴーランドみたいに
繰り返し見続けるように、

「仕向けられていた。」

のではないかな。。。



「渡る世間は鬼ばかり」、、と
嘆くのではなく、


AIが教えてくれるように、
「わたしのこころの中に鬼がいるよ」
と気づく事が出来れば、


ことわざの通り、
「渡る世間に鬼はない」
の世界が広がり、


穏やかなこころの表れが広がる
温かい世界に、なってゆく。



渡る世間に鬼はない、
地上の天国への道の途中には、



わたしのこころの中に
鬼がいるよ、と気付くための
🪞鏡がある。


ところどころに鏡が、
落ちている。



その鏡を拾い、

それを「自分である。」と、

認め、続ける事が出来れば

それを、愛する事が出来れば



鬼はだんだんと、
姿を見せなくなってゆく。



鬼は自分の中に溶け込んで
静かに眠ってゆく。



鬼が自分の中に溶け込んで
姿を見せなくなった頃に



辺りを見回すと、


そこは地上の天国。


人は、こころの持ち方ひとつで

鬼にも、仏にも、なれるけれど。


その、両方を持っているからこそ、
人であれるのだとしたら、


今は眠っている
鬼のわたしも。


大切な一面なのだなぁ。。と


愛おしく思います。



いつ、鬼が起きようとも。

その気持ちがあれば、


いつでも


鬼でも、仏でもない、


人である


「わたし」に戻って来れる。





地上の天国は、




自分の心の中に住む鬼に、

気づいて、

許して、

認めて、

愛でる。


そうして、
自分を愛する先に、
続いているのだなぁ。。。と
思います。





今日は

ふなばし子ども食堂ネットワークの

イベント開催日でした。


千葉ジェッツ様、

ららテラスのスタッフの皆様、

子ども食堂ネットワークの

会長、

ボランティアスタッフの仲間たち。

参加者のみなさまの笑顔がいっぱい飛び出すハート

本当に楽しく、感謝の1日。




スタッフの中には

学生さんもいて、


一緒に受付をお手伝いして

頂きましたおねがい飛び出すハート



学生さんが、

楽しそうに食事をしながら笑う



ご家族の皆さまや、


スタッフとの笑顔のやり取りをみて



ボソッと一言。



「温かい世界だなぁ。。。」



と、小さな声で言ったので、



「そうだね、、天国だね、、。

(ここは天国で、)

もしかしたら私たち、

生きていないのかも知れないよ。笑」



と言うと、

プスッと笑ってくれました。



皆さまの優しさと、


温かさ。


いつにも増して、

たくさんの笑顔に出会えた1日。






たくさんの笑顔もいいけれど、



大切なひと、


ひとりの笑顔も、


だれかの泣き顔も。


怒った顔も。



みんな大切なアルバムの中の、

1ページ



ひとつひとつを

大切に過ごしてゆきたいなぁ。。。


ホッケの開き焼き&ダイソーで買った

大根おろしの猫型ニコニコ飛び出すハート





お付き合いくださったお方。

ありがとうございます!



よき1日を

ニコニコ虹キラキラクローバークローバークローバー