毎年1月17日はやってきますが


20年前の1月17日、夢を見ていたような

目が覚めそうな・・・そんな時でした。



不気味なガタガタと言う音と感じた事のない恐怖感、

立ち上がる事も出来ず


とにかく両親のいる1階に下りるのが精一杯


父が私の名前を叫んでフラフラの私を支えてくれました。


たまたま夜勤で家にいた父、

父の利用していた伊丹駅は大きな被害を受けました。

しばらくすると外からは〇〇さ~ん大丈夫?

近所の方が声を掛けて回って下さっていました。



幸い家族も周りも大きなケガをした人もいなかったのですが

停電している中、不安で仕方ありませんでした。



隣駅に住んでいた兄家族が信号がついていない中

水槽が割れて畳が水浸しだったのと、心配だった事もあって

我が家にやって来ました。



兄はタンスで肩をケガしたようですが大きなケガでなくて

良かったです。



大きな揺れの中、兄は奥さんに向かって

「サナエ大丈夫か」と私の名前を呼んだそうです。



後には「妹の名前で良かったな」と笑い話になっていますが

混乱していたんでしょうね。


少し落ち着いて2階の自分の部屋を見て茫然としました。

自分の寝ていた場所にタンスが倒れ

あらゆる物が散乱して、屋根瓦は落ちていました。


今の戸建てと違い、昔の下町の支え合って建っていた

我が家は真ん中だった事もあり、半壊認定でしたが

大きな被害がなく良かったです。



当時はまだ結婚していなかった旦那さんは神戸に住んでいました。


2日前に会っていたのに

電話が繋がらず連絡が取れず


夜になってやっと公衆電話から聞いた旦那さんの声に安堵しました。


明日が来るのが当たり前だと疑っていなかったのに



一瞬にして尊い命が犠牲になった日。


生きているだけで有り難いと思った日。


当たり前は当たり前でないんだと感じた日。


笑える事がどんなに幸せなのか感じた日。




時は流れて、あの時を想えば


些細な事で落ち込んだり、悩んだりしていたりもするけれど

あの日を、あの時の気持ちを忘れてはいけない。



犠牲となられた皆さまのご冥福をお祈りいたします。



被害に遭われ、大切な方を失い、今も悲しく辛い想いを

されている皆さまに改めてお見舞い申し上げます。



20年という節目の年と言う事もあり、数々の番組が放送されます。


体感した者として忘れないように、


自分が実際に感じた事を残せたらと思います。

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