命と健康を考える、ありがとう農園の幸せ作りブログ -95ページ目
さて皆さんに質問である。

「消費者」「生産者」って何??


私はここで「命と健康を考える農業」と銘を打ってるぐらいなので、それを基準に考察していこうと思います。


まずは「消費」「消費者」について考察してみよう。

TVや経済の話しでは、よく「消費者」とか「消費を拡大して」とかいうキーワードが出てくる。
消費をするっていうことは、生産する事が必要なわけですね。

確かに「物」を作ると言うのも生産には間違いない。
それではなんでわざわざ消費を拡大しなくてはいけないのか?

それは「消費」できないとか、「消費」したくない物だからだ。

例えばお気に入りのバッグがあれば、それは大切に長く使い続けたい物だろう。
日本の着物などで言えば当然高額な物だし、近年薄れてきているが親から子へ、子から孫へと受け継がれていき、ぼろぼろになった最後にはぞうきんなどにして最後の最後まで使い切るという風習があったほどだ。

神道系とも言われたりするが、日本には大切に扱えば物にも神が宿る、自然から産まれた物全てに神が宿ると言われている。
そして大切に扱わなかった物には妖怪が宿り、付喪神(物に付く神様)が憑藻神と呼ばれ人に害なす物が宿ると言われていた。
その為に今でも日本の各地には人形供養を専門とする神社があったり、鏡等の物を祭っている場所も多い。
(余談ではあるが、百ほど多いという意味合いも込めて九十九と表現される事も多い。)






今の世の中家電一つをとってしても、保証が過ぎたら壊れてしまうと言われる程、物は壊れやすく消費のサイクルが回ってくるようになっている。
しかしどうだろう、本来これらは壊れてほしく無い「財産」でもあるはずだ。
これらの消費を拡大しようとする方が無理があり、なによりそれはお金の都合では無いだろうか?

そもそも消費と言う事は、人類が消費された後何も生み出さない事例が増えてきている。

これは循環という輪を切り、地球という世界基準で消費されてしまっているということだ。
無尽蔵にも見えるが、「宇宙船地球号」と呼ぶ人が居たりするほど、地球という存在は有限なのだ。

それを消費していると言う事は、私たちは自分たちの未来を食いつぶして行くばかりだと言うことだ。
下手に消費拡大して世の中を良くしようだなんて言う言葉に惑わされてはいけない。

世の中に消費して良い物は何一つないんだ。
だからこそ、リサイクルやゴミの分別が今現在死活問題となっているんだ。

私たちが無尽蔵に消費していてよければ、5R【「リデュース」「リユース」「リペア」「リサイクル」「リフューズ」】なんて必要無いんだから。

 

いつまでも消費ばかりをしていてはいけないということだ。
世の中がよく言う消費者とは、もはや「浪費者」の意味合いにはなってないだろうか?



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では「生産」「生産者」とはなんだろうか?

いわゆる家電や家具、不動産のような物を作ることは直接的な生産とは私は思っていない。
本来の生産とは、「生」と「産」と書くように命を生み出すことに他ならない。

生命を生み出し、なおかつ地球の上で循環していける職業ってなんだろう? そう考えると私は「百姓」しか無いと思う。
理由はまた後で説明できればと思う、あくまで私はここで「農業」とは言わない。

命という物の循環には、住む場所も着る物も無くとも、食べ物が無ければ不可能だからだ。
食べるということは「命」直結しているからだ。

それでは他の物は生産では無いのか?と問われると、生み出された物が生産に繋がるのであれば生産だろうという事になる。
解りやすく「生産」という言葉になっているが、もはやその他の職業が作っているのは「生産」ではなく「製造」でしかないということだ。
それ故に「製造業」という呼び方もある。

私はこれらを明確に区別できれば良いなと思う。

いくら物質として銃やミサイルなどを作っても、とて生命としての「生産」にはならないだろう。
むしろ「生命」を奪い去る凶器でしかない。

それに対して剣や包丁といった刃物はどうだろうか?
これらも何かを「傷付ける」物ではあるのだが、それらを使って自身の食となる物を調理したりすることが可能で、生命を繋げる役目はあるだろう。
銃などは獲物を狩るためには使えても、自然で分解されない物や何かを消費して稼働する物だ。
それに比べれば包丁等は、時間はかかるだろうが放置すれば錆て、その内土の中で分解されていくことになる。

製造された物は、使い方や使う人の在り方で「生産」に関わることができるし、逆に「消費」の枠から出きれない事もあるだろう。

「消費者」と「浪費者」のように、「生産者」と「製造者」は明確にわけられても良いのでは無いだろうか?



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ここで改めて思う「生産者」「消費者」の健全な在り方を考察し直す。

生産を生命とするのであれば、消費というのは消えて費やすのでは無く、神話の炎が破壊と再生を司るように、消費された物が次の命に巡る・・・・・循環をする必要があるのではないだろうか。

でなければ、いつまでも浪費から抜け出すことは無く、人やお金の都合で製造ばかりが増え、命を生み出す仕事ができなくなり滅んでしまうのでは無いだろうか。



なので私は生産者であり、消費者でありたい。

私は自分の子供に「こんな素敵な世界に産んでくれてありがとう」と言われたい。

だから、そんな浪費の世界はごめん被る。