明日への扉が流れて、懐かしいなぁと思いました。

2002~2003年は人生で初の絶不調を味わいました。

うつ状態が続いて、学校がつまらなくなってしまい...

中学3年生でプチの誕生日の日から学校行くのやめました。

疲れたという訴えが当時からあって、その頃から現在の病巣が作られ始めていたのかもしれません。

それから学校に行ったのは修学旅行と、高校の面接のために夕方から学校に行っていました。

職員室で英語を習い、技術室で工作をしてみたり。

原因が良く解らないのです。ただただ、疲れた。それだけ。

だけれど、先生たちは理由を聞かなければならないのですよね。

理由なんて解らないから適当に言っていました。

いわゆる良い子でいるということが耐えられなくなったのでしょう。

今言えば適応障害とかまぁ気分障害の分類。

でも、学校を行かないって決めたのは楽なことではありません。

覚悟が必要なんです。だから誕生日の日から行かないように(その日行って次の日から休めばw

何にもすることがありませんよね。中学生が外に出ていたらおかしいですし、家にこもっていました。

唯一の救いはラジオでした。

ラジオネームでガンガン投稿。それが楽しくなりました。

耳でしか伝わらない情報。初めてリクエスト曲が読まれた時は感動しました。

おまけにプレゼントまで当選。

中学という小さな社会から少し抜けたような不思議な気持ちでした。

今はアナウンス部長のお偉いさんとなったアナウンサーとは長い付き合いになります。

プレゼントもたくさんいただきました。

文章を書く能力が飛躍的に伸びたのはラジオのおかげです。

聴いている人に何を伝えるか、解りやすいか、そんなことを思いながら書きました。

ハガキ職人となったのです。

当時はちょうど、メールも受け付けるようになって、更に投稿が楽になりました。

ケータイから送信。

オールナイトニッポンに絶対読まれるように、福山雅治に絶対読んでもらうように...

夢がかないました。そして、世間は実に広いんだなぁと感じたのです。

ラジオはテレビと違って個人の気持ちをそのまま伝えてきます。

その人本来の持ち味が解ると、それに合わせて投稿する。

心理戦です。見事ツボに入れば読まれます。特に魂ラジは競争率が高いので、読まれた時は感涙ですよ!!

マシャが読んでくれた...放心状態でした。

個人的にウマが合ったのがビビる大木とホリケンのオールナイト。

一日に3回とか読まれていました。

知らず知らずに文章の書き方が身に付いているんですよね。

新聞にも試しに投書したら8割型採用されるので、これは嬉しいです。

新聞に関しては本名です。ひとつの記録に残るものだから...

テレビも意外と採用されるんですねぇ。

まさしくカリスマ投稿職人へと変貌。

ラジオに出演することは中学の同級生が知って、羨ましがったようです。

自宅から生放送をしたこともあるんですよ!!!!!

楽しいです。本局からのパーソナリティとのやり取りも。

そこら辺から希望が持てるようになりました。世界は無限大に広いんだ、自分の好きなことをしていいんだと。

高校では素の自分でいました。でも、無理強いすることがクセみたいで高校2年の半ばにぶっ倒れて今に至るわけですがw

プチの原点はラジオであって、人と人との繋がりです。

いつも同じように読まれるラジオネームの方とついにラジオ局で一緒に対面して番組収録に参加したこともありました。

バブルですね、今はバブルが弾けて我慢の時ですが、あいのりを見ていて色々な出来事が頭の中を大きくよぎりました。

テレビ番組が相次いで終了してしまうのは寂しいものです。

ラジオ業界も長寿番組が続々終了です。

なんか、感傷に浸りますね。

ここまで読んでくれた方、ありがとう♪