3月1日はもうひとつ意味がありました。

高校の卒業式の日でした。

3年前の今日は雨が降っていました。

朝は小雨だったと思います。卒業式を思い出すと高校って良かったなぁと思います。

楽しかった高校前半、苦しい闘病生活をしながらの高校後半。

勉強を必死でして3年の7月の検定で簿記を全部合格しました。

一度に3つを同時合格は快挙でした。倒れてから頭に入らない勉強の日々。

2年の11月に2級の簿記検定がありました。薬を飲みながらフラフラしている自分、通院しながら補習に出ていました。あんまり頭に入らないのに、とにかく背伸びしていました。検定当日はもちろん調子悪かったです。

結果は67点でした。初めて味わう落ちるという屈辱。あと1問だったのと、電卓の使い方を間違えていたため数式が正しく行われず、一蓮の流れの問題がすべてダメ。本当にショックでした。

2月にあった検定は本当に調子悪く、全然ダメ。58点だったかと。正直あの時はもう落ちていいと思っていました。心身ボロボロで疲弊していたのです。だから、3年になったら頂上へ立ってやろうと。

3年になってからも薬は手放せない毎日です。しかし、最終学年。私には前に進むしかないと思ったのです。そこには絶対にみんなと卒業してみせるという思いがあったからです。

能力が十分に発揮されないのでその分、一日5時間とか簿記の勉強をしていました。黙々と問題集を解いて、出遅れた分を絶対に挽回して一気に形勢逆転だというその意気込み。

それが高校3年で見事に実りました。みんな先生方が喜んでくれました。

日商簿記検定の結果を見にいったのは入学する時以上にドキドキしていました。

番号があった時は嬉しさとホッとしている放心状態。

苦しさを味わっての至福のひととき。人生はそうやって生きるのかもしれません。

中学の先生が言っておりました。人生の9割は辛いが、1割の喜びのために生きているのだと。

今、それが解った気がします。

私は記録に残る人間よりかは、記憶に残る人間になりたかったのですが、両方が達成されました。これは素直に嬉しいです。

卒業してからはずっと自宅療養ですが、みんなと一緒に卒業できたことが本当に嬉しいし、後悔していません。

今はとにかく病気が良くなるように、それだけです。