Amazonプライムビデオにて観賞。
【あらすじ&概要】
「鴨川ホルモー」「プリンセス・トヨトミ」の人気作家・万城目学による同名小説を、濱田岳と岡田将生の主演で映画化。
滋賀県琵琶湖畔に位置する石走(いわばしり)の町には、代々不思議な力を伝承する日出一族が江戸時代から現存する城に暮らしていた。分家の息子・涼介は一族の掟に従い、高校入学を機に力の修行のため日出家の城に居候することに。風変わりな日出家の面々に戸惑う涼介は、日出家の跡取りで最強の力の持ち主とされる高校生・淡十郎に従者扱いされ、振り回される日々を送る。やがて淡十郎の色恋沙汰が、日出家とライバルの棗家を巻き込み、思わぬ騒動へと発展していく。
(映画.comより引用)
2014年
【★★(2.5)】
「ちょっとなんだかよくわからない度」が高めかな
あらゆる方向に満遍なく何を感じればいいのか困惑する
【感想】
濱田岳 岡田将生 深田恭子 貫地谷しほり 佐野史郎 笹野高史
独創的な世界観と設定で、それでいて話は割と王道っぽい…というと SF!ってカンジなのだが、
SFアクションを楽しむ大作映画でもないし、現代にも通じる問題意識の提唱とか、普遍的なテーマってカンジでもなく…、キャラクターの成長を…というのも今ひとつピンとこない…
S(すこし)F(ふしぎ)な世界観を楽しむ分にはいいけど、それ以上の一歩踏み出した見処が無いというか足りない…
正直そんな印象です。
主人公たちは琵琶湖のチカラを受け継ぐ能力者たち。彼ら日の出一族は人間の精神に干渉するチカラを持ち、対立する棗一族は肉体に干渉するチカラを持つ。
それぞれの次期当主となる日の出淡十郎と棗広海が高校で同じクラスになり、淡十郎の元に居候することになった涼介も同じクラス。さぁ、何が起こるか…といったカンジなのだが、
「琵琶湖の」というのが付かなければ超能力学園モノ…なんてジャンルがあるかは判りませんが、そんなカンジなりの、設定はそんなに斬新ではないように思える。
琵琶湖のという設定は実在の日本に於ける話だという現実感、実在感に繋がる部分で非常に重要で、作者ならびに製作サイドが単にSFをやりたいだけの作品ではない。という心情を感じることが出来る。
では何を描きたいのか。
主人公たち日の出一族は真っ赤な装束に身を包みあまつさえ城に住んでいる能力者たち、というかなり異質な存在。
といえば、異能のもの故の苦難?特別であることの孤独?
そういうこともあるのでしょう。
清子のエピソードなどにもそういった側面が散見されます。
また淡十郎の唱える一族の争いのくだらなさだとか、
特別な能力だとか血族の掟などに縛られているだとか。
そう、本当に色んな部分が散見されて何がこの物語の核を成すのかよくわからない。
これは結論でもあるんですが、
この物語、ナリは良いけど意外と薄くて味がよくわからない。
順を追って見ていくと、
まず冒頭は赤子の涼介が能力の片鱗を見せて大人たちに認められるという儀式。
日本古来からの伝統に乗っ取った神事のようで、現実感あるリアリティーラインの担保といったところで話の導入として悪くないですね。
ライバル関係にある棗一族も登場します。
次に高校生となった涼介(岡田将生)が日の出一族の本家にやって来るところ。
通行人に道を訪ねるとなんと目指していたのはお城。インパクトもあるし涼介の普通に良い青年ぷりや源じいとの出会い、密かな伏線となる源じいの物忘れやら写真のくだり。
説明あり伏線あり、ちょっと分かりやすいけど、初見で何か感じるけどまぁいいでしょう。
そして日の出一族の方々と面通し。佐野史郎やら貫地谷しほりやら香ばしくてイイカンジの面々、そして真っ赤な学ランで絵をたしなむ日の出淡十郎こと濱田岳。「よかろう」なんて言うカンジ、キャラ立ってて良いですね。ちょっとパタリロ入ってますよね。
次は学校へ。
涼介も真っ赤な学ランを着させられ登校します。職員のペコペコ描写があり日の出家の支配力なんかも垣間見えます。
そしてライバルの棗一族の跡継ぎが同じクラスに。
日の出と棗が能力を使うとお互いに嫌な音が轟音で鳴り響くようです。
ちょっと面白い設定ですよね。
学校でのパートは基本こればっかり。淡十郎と棗が対立。涼介が騒音被害に。の繰り返し。
そして学校では殿様然とした淡十郎が絵をきっかけに恋に目覚めます。
しかし彼女は棗の跡継ぎに片想いらしく、淡十郎は失恋しちゃいます。
学園能力者ドタバタラブコメとしてはここでお膳立ては整ったかな、といったあたり。
ここから物語は大きく動き出すのかな、なんて。
しかしここで、失恋した淡十郎が涼介と人気のないところに行って「なぁーんでなんだよ!うぁー!」とのたうち回るというダサいシーンが入ります。
淡十郎のダサい部分というのもあるんだけど、シーンとしても表現としても正直ダサい。なんだこのシーン。
そしてここから学園シーンはほとんどなくなり、日の出と棗の両家をめぐる新たな事件に発展していきます。
青春の苦悩がヒトくだりあってもう終わり。
結局学園モノではなかったのか……。
なんだかんだあるんですが
謎を呼ぶ能力者バトルみたいな展開になります。
日の出一族でも棗一族でもない第三の能力者が現れ…というカンジなんですが、
共通の敵が現れてからは過去の確執なんのその、あっさり協力しちゃう両家。
学園シーンでの対立構造も一族同士の…というカンジがあまり感じられず、またどのようなシチュエーションで対立が生まれるのかも描かれない為、個人同士としても見解の違いすらもあまり感じられない。
結果、両家の長きに渡る対立を乗り越えて協力するというカタストロフも生まれず、
ストーリーを展開させることが優先されているだけの退屈な時間に思えてしまいます。
あと、この辺りから序盤では
日の出→人の精神に働きかけるチカラ。
棗→肉体に働きかけるチカラ。
としか説明されていなかった能力のうち、涼介(日の出一族)は水を回す鍛練に励んでたり、
棗は時間を止めたりするのが自分の一族のチカラだと言ったり、能力についてもあやふやな情報ばかりでよくわかりません。
さて、中盤で投げたモノが回収されたり、涼介と棗が協力してアイテムをゲットしたり、棗に彼女が居ないことを確認したり。どれも重要性に欠けるシーンが色々ありました。
そして急に出てくる龍の存在。
清子は龍の声がわかるとか…。なんですかそれは。
なんやかんやでラストバトル。
能力についてこだわりを見せていた淡十郎も一度は考えを固持するものの割とあっさりと展開に沿ってしまう。
浅い!
そう、浅いのです。
「作者はこの作品で「上手くなると、どうしても乱暴な側面がどんどん消えていってしまい、それが何となくよくない」と考え、デビュー時の作風に立ち返り、「文章にしても構成にしてもちょっと荒っぽく、そんなにきちきち決めずにやってみよう」という思いで書かれた作品となっている。」(Wikipediaより抜粋)
とのこと。とのことですが!
設定、要素、キャラクターを思うがままに散らした挙げ句、整え要員として涼介を主人公として据え、物語を進めてみると様々な要因によって進む物語の展開をキャラクターが持つ要素が越えられず流されていく結果…といったところでしょうか。
学園、能力、一族、両家の対立、善悪、伝統と個人、青春、恋、様々な昇華すべき葛藤がそこかしこに散見されつつ、なにも昇華されないままなんとなく穏当な終演を迎えるというカンジが否めない。
むしろ主人公としての涼介を据えたおかげで各所にズームアップすることなく焦点がぼやけたまま映画として終わってしまう。ともいえるかもしれません。
淡十郎は何がしたかったのか、その心情、もっと深掘り出来れば…最初感情移入しにくかった人物な分、揺さぶられるものがあったかもしれない。
作者が上手く着地出来る手腕を持っていたからこそ凡作に終わったのではないか。
それにしても映画化にあたって新たなる試み、切り口をとればもっとササる作品になったのでらないか。
残念です。
最後の最後、エンドロールの後にワンシーン入るのが全く持って見苦しいカンジにしか捉えられず、重ねて残念。
何も伝えることがないならギャグだったりアクションだったりに寄った娯楽作としてせめて……
ナリは悪くないのに盛り上がらないまま終わってしまう凡作…
以上。