久しぶりの投稿です。
東海道五十三次を歩き終えてから、近場の山歩きをしつつ登山復帰の方向を考え始めていました。
旧街道とは言え車の通る舗装路より山道の方が歩きやすいのと、結局東海道で一番惹かれたのは富士山だったので。
ところが、暇にあかせて図書館通いもするようになって、たまたま借りた以下2冊。
浅田次郎の「流人道中記」と「一路」。
浅田次郎は好きでよく読んでいたのですが、この2冊は未読で内容も知りませんでした。
それがなんと、「流人道中記」は奥州街道を、「一路」は中山道を歩く物語でした。
そしてとても面白い。
出張で仙台や盛岡、秋田の町はちょっと知ってるけど、それ以外で行ったことのない東北の景色を想像したり、木曽の山々を抜けていく物語にちょっと心をくすぐられてしまって・・・
でもこの本には決定的な事実が書かれていました。
自分の調査不足でした。
のちに新選組となる浪士組は東海道で京に上ったとしか考えていなかったので、その逆を歩くことを目標の一つに置いて、京都の新選組屯所跡をスタート地点に選んだのに、実は彼らは中山道をたどったとのことでした。
怪しげな浪人の一団が貴人の往来も頻繁な東海道をさけて中山道を選んだのでは、との推察も書かれていました。
う~ん、これはかなりショックな事実です。
これから先で色々考えていた計画を再検討するかもしれません。
東海道より距離の長い、そしておそらく泊まる宿もコンビニも少ない中山道を、また京から江戸日本橋まで歩きとおすのはちょっとしんどいかなぁと思うので、良さげなところだけ抜粋でもいいかなぁ?とか。
妻とも話してじっくり考えます。

