私は転校してからは石井中の剣道部の強さに惹かれていたため、1996年夏の徳島県中学総体・剣道部門は団体戦で彼らの活躍が楽しみで仕方なかったのだが、石井を倒した相生中と阿南一中の決勝戦も見ていて手に汗握る好ゲームだった。
阿南一中の大将は同学年では絶対王者の大前智仁だったので大将戦までに勝負を付けなければならないというのが徳島新聞の戦前予想にもあった。 しかし最後の大将戦、相生の藤崎が大前と引き分けて勝数差で相生中が優勝。
。ただ、小学校1年生から中学3年に至るまでほとんど同学年に負けたことがないという全国クラスの大前は動きも技も飛びぬけていたように思う。この時点までは・・・・
個人戦の予想も「大前の優勝は有力だ」と書いてあったと思う。あの細身のいかにも強そうなフォルムが忘れられない。
さて、私が転校する前、県西部大会は穴吹で、三好郡大会は池田中で行われていた。その時、毎回優勝していた選手にも六條のようにファンがいた。昼休みに可愛い女子からの差し入れや大会の合間に違う女子を侍らしていたのが池田中の佐々木だった。 「剣道で優勝したりするとこういう事があるのか・・・練習頑張ろう」と感じさせられた記憶があるのだが。。
総体の当日朝の練習でこの選手の動きがすごく良かった。スピードと体の切れがあり、勝ち上がれば3回戦で大前と対戦する組み合わせだった。
しかし私の横で審判団が話していたのが「三好郡からは3回戦突破して四国大会に行った選手はまだ一人もおらんけん少しは盛り上げて欲しかったけど、まあ大前とやるんだったら今年も無理じゃな」という期待薄な内容だったので対して気にも留めてなかった。
鳴門武道館の2階では阿南勢の応援が多かったのとは逆に三好、美馬の応援はほとんどいないように見えた。
2階席からは「大前の個人優勝は固いのう」という話が何度も聞こえていた。
団体戦の後、余りの熱さにポカリを2本買って飲みながら個人戦の観戦をした。 石井の3人は共に勝ち進んで、さて次の試合は順当に勝ち上がった大前と佐々木の3回戦がちょうど始まったタイミングだった。 開始30秒くらいして、私はこの2人に余り力の差がないように感じた。会場中のほぼ100%は大前の勝利を疑わなかったであろうこの1戦。 次の瞬間、大前の振りかぶった所にクルっと下から竹刀を回して鮮やかな出コテを決める佐々木。 会場中があまりに沸いたため手に持っていたポカリをこぼしてしまった。 床を拭いてご迷惑をかけた隣に座っていた入田中のメンバーに謝罪して再び試合に目を向けると、再度、佐々木の出コテが決まりそうになっていた。旗が1本しか上がらずに有効打にはならなかったが、あの大前が負けを確信してうなだれる瞬間もあった。 何気に見た個人戦は思わぬ展開になった。この大会一番の大番狂わせな試合だった。 そのまま1本勝で試合終了の声の後、試合会場が騒然としていた・・・負けた大前が倒れ込んで泣いていた。
2階で応援していた人の中にも泣いていた人がいたのを今でも忘れない。帰りのバスが出る直前に最大の番狂わせを見たこの一戦が中学時代最後の試合だった。
冬の英検二次試験だったかで会った佐々木に聞いたところ、三好郡で個人で優勝し続けるプレッシャーも相当なものだったらしい。ただ、つばぜり合いで大前と剣を交えた時に大前の抱えている同じ種類のプレッシャーが伝わってきて気持ちが楽になったと話していた。 大前とは話をする機会を一度も持てなかったのが今となっては悔やまれるが。。。この時の心境は本当のところどうだったのか?
団体でも戦い切っていて優勝できなかったことでより精神的な疲労もあったはずではある。
その後、高校でも大前を見たものの、応援はしていたけれどこの試合を境に絶対的な感じが無くなってしまったように思えた。
ただ、間違いなく凄く良い選手だった。個人や団体で常に全国クラスの活躍をし続けた大前。皆の目標になる選手であったことは間違いないだろう。そして三好郡から初の四国大会に出場した佐々木も。 この二人も今、どうしているだろうか。また会う日があればよいと思う。