どうにかこうにか、
昨夜、嫁に許してもらえて、
仲直りができた。

結局今回の喧嘩も、
つまるところ私の心の根底にある「甘え」が原因だった。

私は幼少期のトラウマ?なのか、
まるで赤児が母親に求めるように、理不尽なワガママを受け入れてくれることを、
自分が愛する相手にさえも、
というか、愛する相手にだけ、
求めてしまう傾向がある。

嫁曰く、
それは「愛ではない。」と…。

確かに仰る通りだと思う。

愛情とは、
自分よりも相手を優先すること。
相手をおもいやること。
相手の求める形に加工して、
相手に伝わるように、
与えること。

私のは、
単なるエゴイズムだった。

嫁曰く、
それは「とても幼稚で、恋愛ごっこにすぎない。」と。

それも至極もっともだ。

喧嘩の行きがかり上ではあったけれど、
今回の喧嘩の発端になった私の八つ当たりの理由を、
素直に嫁に伝えることができた。

ちゃんと落ち着いて話ができれば、どんな内容であれ、
嫁はちゃんと聞いてくれるし、
何も怖いことはないはずなのに、
私のつまらないプライドと、
嫁に対する心苦しさがあいまって、八つ当たりのような形でしか表現できなかったのだ。

それで嫁に嫌な思いをさせてしまうなんて、
本当に幼稚だ…。

事実、平謝りに謝って仲直りしてくれた後に、
嫁は私の悩みの種だった件について、ちゃんと協力してくれて、
重荷を半分こしてくれた。


なんてオトコらしい‼(ぽーっ…)


自分自分自分自分自分自分…

今までの自分を振り返ると、
どこまでいっても、
自分自分の「自分地獄」に陥っていたように思う。

相手のことを思っているつもりで、見ているのは「自分」ばかりだったように思う。

自分の自分の「自分地獄」の行く末は、
本当の一人ぼっちだと思う。

それだけは、
はっきりとわかる。

こんな私でも、
他人を愛して生きていきたい。
愛されて生きていきたい。

だから、自分地獄からは、
何としても脱却したい。

そのためには、
いつも最新の注意を払って、
愛する人を見つめていないといけない。

ところが私はすぐに、
相手の愛情、思い、気持ちに、
悪い意味で甘える。

そこを叩き直す。

そうでないと、
本当に嫁を喪ってしまう。

喪ってから気づくばかりの人生は、嫌だ。

いい年して、
今からその次元の修行かよ!
と自分でも情けない。

嫁も言っていたが、
嫁は私の先生でも親でもないのだから、成長するまで見守る必要なんて全くないのだ。

だから今すぐにせめて出来ることは、言葉や態度に最大限の注意を払うこと。

相手に敬意を払うこと。
心配りをすること。

そんなことは当たり前のことだろと思われそうだが、
私にとってはこれまでできていなかったこと。

当たり前のことを、
当たり前にできるように、
日々精進です。