ここのところ、嫁の心の中にある風景について、
考えることが多い。





いつも「どこがすき?」と聞かれるたびに、
顔、とか、透明感、とか、存在感、とか。

答えておるが。


本当は、


嫁の心の中にある心象風景に、
旅立ちたいのかもしれない、と。


最近思う。




不思議な話なんだが。



そういうことばかり考えているからだと思うが、
最近は、嫁の心の中の、その風景が、
見えるような気がする。



そこはとても乾いた風の吹く碧い土地。




心の中に異国を持つうちの嫁は、


だからとても心が自由である。







心が自由であるということは、
とても素敵なことだ。




このご時世、心が本当に自由な人は稀有だ。


嫁に、スナフキンみたいなところが好き、
と言ったら、????と思われてしまったけれど。



自分もまた、そのように自由な心を持ちたいけれど、
私の心の中には泣いている子供がいる。




その子供は自由になりたいともがいているが、
何かに非常に傷ついているので、飛び立てない。





けれど、嫁といると、
その子供が笑顔を取り戻して、
飛べないなりに、自分の足で、
飛びたとうとするのだ。




そのような自由闊達で爽やかな心、
もちろん雨が降ることもある心ではあるのだが。




そんな嫁の美徳を、たまらなくいとしく思うし、
そこにこそ、最もひかれているのかもしれない。




だから、いつも、嫁のことは、
風のような人、と表現している。




書いていて、そのことが整理できた。
本件については、もっと考察を深めていきたいと思う。




それはきっと私の当面のライフワークになることだろう。





6月には嫁の誕生日がくる。





その月に、
私が思う、嫁の心の中の風景に、
もっとも近い誰も知らない場所で、
ひっそりと二人、さまよい、


乾杯をしたいと思う。