前編のつづきです。
軍事境界線に入る際にパスポートの提示がありました。検問所に停まり、軍人がバスの中に入り一人一人顔写真と名前を名簿と照らし合わせ確認していきます。
軍人は韓国の兵役にあたる20代前半くらいの男性でした。行きは簡易的な感じがしましたが帰りはかなり念入りに確認されました。
都羅展望台
移動中…
美しい長閑な場所です。
見えているのは臨津江
私達は展望台に行くのに左折しました。ここをまっすぐ行くと北朝鮮で軍事境界線に最も近い地域である開城工業団地まで繋がっているそうです。
開城工業団地については後ほど詳しく述べます。
DMZ区域内には今でも沢山の地雷が埋まっています。軍人の中には地雷撤去する部隊があるそうですが1つ見つけた際の報酬があまりにも安価で驚きました。地雷が埋まっている武装地帯ですが人々が安易に立ち入る事ができない為か自然豊かで貴重な生き物も未だ沢山生息しているようです。
検問所らしきところでまた軍人さんがいました。
鉄格子が引かれています。
都羅展望台へつきました。
以前はこちらから北朝鮮を眺めていたらしいですが今は閉鎖。新しくできた展望台まで歩きます。
割と急な坂が続きます。
道路横からまあまあな量のミストが出ていました。
館内に到着です。
こちらは韓国と北朝鮮のゆるキャラ的な?
左:北朝鮮 豊山犬(プンサンケ)
右:韓国 珍島犬(チンドッケ)
北朝鮮側が持っている旗は統一旗(ハンバンドギ)と言ってこれまでアジア大会などスポーツ大会で使われたようです。南北関係が良好な際には今後も使用されるであろうと言われていました。
◯開城(ケソン)工業団地開発について
南北間の平和的な関係を築き北朝鮮の経済を活性化させ、朝鮮半島における緊張緩和と平和構築に貢献する目的行われた事業。
当時太陽政策の一環として、開城工業団地が開発され2004年から2016年まで稼働しました。
南北経済協力事業として北朝鮮が土地や労働力、韓国側が賃金や技術力を提供し、韓国企業100数社が操業しました。
ところが北朝鮮は民間人に渡る賃金を国が徴収し
その資金が兵器開発に流用され、それを防ぐため、韓国側が操業の停止を決めました。
その後、2018年の南北首脳会談の合意にもとづいて、9月に開城工業団地内に南北共同連絡事務所が設置され、融和ムードの象徴とされていましたが、2020年6月に、北韓が一方的に連絡事務所を爆破しました。
これら2つ時計は左:ソウル、右:平壌
当時ソウルの方が30分程進んでおり時差があった事を示しています。
日本と韓国は現在は時差は無いですがかつては1時間の時差があったようです。日本よりも韓国側が西に位置する為今でも日が暮れるのが日本より遅く感じるようです。
2018年の板門店平和宣言により、北朝鮮・平壌の時間を韓国・ソウルの時間を合わせ、以来は韓国と北朝鮮には時差が無くなったとの事。
川を隔てて対岸は北朝鮮🇰🇵
展望台の屋上からは先程述べた開城工業団地が見えます。(左側)
中央に見えるのはおそらく宣伝村と言って誰も住んでいないダミーの建物
画面にはないですが、望遠鏡🔭からは北朝鮮の国旗がしっかり見えました。左の方に畑や小さな小道があり、北朝鮮の民間人らしき人が畑の中でしゃがんで作業したり、バイクに乗って道を走ったり、2人並んで歩いている姿が見えました。
手前には韓国側の見張り小屋があります🛖
第3トンネル
撮影スポットのようでした。
球の内側には朝鮮半島が掘られていて、北朝鮮側韓国側と互いに押し合って自分達の手で1つに戻そうとしています。
第3トンネル内は撮影禁止でした。
トンネルが北朝鮮により掘られていた事実は脱北者の証言でわかったそうです。
このように地下深くに掘られていて、そこに到達するのにかなりの坂道を上り下りしなきゃならない状況です。
トンネルを掘る際にはダイナマイトを爆発させ、散らばった石を集めて、の繰り返しだったそうです。
板門店もすぐ近くに位置します。
ロッカーに財布、携帯等貴重品は置いていくように言われます。水分もミネラルウォーター以外の色や味がついた物も禁止と注意を受けました。
トンネルはかなり寒かったです。この日は蒸し暑く日本と変わらない夏日でしたが真夏でも薄着だとトンネル内は非常に寒い。
全長1.6km 水が滴れ、地面が濡れています。あと高さも低く(これはトンネルを掘った北朝鮮人の平均身長が当時160cmだった)トンネルに入る際には皆ヘルメットを着用します。傾斜も急です。
それでも特に男性はかがみながら奥へと進んでました。たまにヘルメットが当たるコツッとした音がトンネル内に響きます。
わずか170m 走ると30秒で北朝鮮に辿り着ける距離まで進みそこで行き止まり。監視カメラが何台もありました。
壁があり、小窓からは少し先に灯りが見えました。熱帯で人工照明もある為なぜか地下なのに植物が育ってました。
帰りのトンネルは上り道でかなりきつかった。止まってしまうとなかなか足が前に進まない事が予測され前の人の歩くテンポに合わせながらついて上った。到着後はすぐには動き出せず、しばらくはロッカー前のベンチに腰掛け休んでいました。
周りの大半の人も同じようにしていました。
さて、少し休みお土産屋さんを徘徊し、その後は写真撮影
バスに乗り、最後の目的地へ向かいます。
ガイドさんが話していた中で、それぞれ韓国でも世代によって教育のあり方に違いがあったと。ガイドさんは60代で北朝鮮を敵対の国、酷い国で統一は厳しいだろうと。でもひと回り下の世代はこれとは真逆な教育で敵対ではなく同じ民族として寄り添う、統一を強く願う。と言うような教えで各年代によって思想が全く変わる。と言われていました。
統一村
本来は統一村に入り、村内を車窓から見るツアーがあるそうですが、豚コロナが流行しているとの事で村内への立ち入りは禁止
休憩所のような場所で降ろされました。
こちらは20分の自由時間で、主にトイレ休憩と売店、アイスクリームを食べました。
統一村の産物、白豆アイス
きなこ味でした。とっても美味しかった
ここ民間人統制区域には今でも何百人と言う民間人が暮らしていて、毎日家族がいるかどうか門限や点呼が定められていたり、厳しい規制の中で生活していると。ただ、その分、非課税や兵役の免除等あるとか。年収も1000万近いと言われていた。
お土産屋さん
ここ、統一村はお米もとっても美味しいんだとか。
何も買わなかったかな
トイレもDMZ‼️

















































































