(聞こえますか……私は今、あなたの心に直接語りかけています………このブログは第2章です……………よければ①の出発編からお読みください………)






🤔🤔


第3弾!ですね!

生誕ライブの後もドキュメントは続きます
最後までお付き合いくださいませ🙇‍♀️




7月5日 六月小雨の家を出発しました。




東名高速を使って3時間ぐらい運転しました。

途中、眠気がピークになったので海老名SAの有名なメロンパンを食べて車で気を失ったように30分ほど眠りました。






親が看護師(介護士)であるため迷惑はかけられないと、2週間ほどビジネスホテルで過ごす覚悟を決めていました。



でも、ダメ元で離婚して別居しているお父さんに連絡をしてみました。

事情を話しているうちに涙が出てしまって、、

家族に自分の気持ちをさらけ出すことは全くないので止めたかったんだけど
話すほどに言葉が詰まったの




2週間はビジネスホテルでそのあとお父さんのところに…って相談したんだけど、ホテル行かないで来ていいよって言ってくれたんです。


☎ちゃんと対策してライブやるんでしょ?
じゃあ大丈夫だよ。





そして2~3年ぶりにお父さんに会って2週間の生活が始まりました。

お母さんには秘密です。
ビジネスホテルに泊まってるって言っといた。





たまに電話がかかってきて着替えとかあるの?とか食べてる?とか言う時もあれば、
もう帰ってこないで 一人暮らしして 勝手にしなさいと言うこともありました




そんな時でもわたしは本音を言えません。

「おっけーわかった」「そうするよ」


なんて言って毎回流してたな。
怒ることも、泣くこともできない

本当の自分ってどこにあるんだろう






お父さんの家は実家より住み良い笑


元コックさんだからお母さんより料理は美味しいし、肉と魚一緒に出してくるのが懐かしかった。


お父さんと暮らすって感覚を忘れてたせいで最初は余所余所しくなっちゃったけど、

夜は一緒にご飯を食べて、ドラマを見てあーでもないこーでもない言って
私が泣いてる時は何も言わずに放っておいてくれた。



でも私はまた 直接 ありがとう が言えなかった




毎日体温測定をして、同じ味のチョコレートを1つ食べるのを日課にした2週間でした。



7月18日 朝仕事に行ってそのまま実家に帰る日


いつも寝ていたベッドに1万円といつもお父さんが飲んでるものより少し高いビールの箱を置いて出発しました。


重たいキャリーケースを車に積んでくれてお別れです。

ありがとうって言いたかったけど
言ったら泣き出しそうで詰まっちゃった。



できる限りの笑顔で窓越しに手を振りました


職場まで行く間に我慢してた涙が溢れました。




血は繋がってないし、一緒に暮らしてもいないお父さんだけど、近くに家以外で頼れる人が居ることに気づきました。






頼るって 苦手だったんだ。

結果的に誰かの手を借りなきゃならなくなる場面はあったけど、助けてください って自分で声を出せたことが成長だと思いたい。









ということで!以上!かな?????




幸せでもあり、苦悩もあり、たくさん成長したこの1年間。ちゃんと20歳になれた気がします。




ここまで読んでくれたあなた天才すぎませんか?



拙い文章ですが、また楽しみにしていてくれたら嬉しいです。






またね



ぷるめん