寺田明日香さんお疲れ様です 会ったことがないけどw 20240702 | プルサンの部屋(経済・世界情勢・株・通貨などを語るブログ)

俺は生活優先で掛け持ちでかなり疲れすぎて、自宅でまったりして久しぶりにテレビを見たら、ちょうど、第108回日本選手権が放映されていた。

俺は中学時代、陸上部にいたし、運動会も水泳大会もトップ、まさに漫画で言うと、俺は「タッチ」のガチ上杉達也やったね。
サッカーをやりたくて陸上を中学で引退したのが間違いだったかなw
ジーコをみてFK練習ばかりしていたし、堂安律みたいなゴールテクニックを有していたがw

放映されていた第108回日本選手権をみると、田中希実選手の走りぶりさには凄すぎます。
かないませんよ。
そして、女子100mH走がちょうど出てきたので、まあみてみるかと思ったら、
その女子100mH走の決勝で最後のゴールで福部真子がトップで終わったので
昔と比べて、今の女子100mH走のレベルが一段とアップしています。
そしたら、あれ?引退したじゃないか?寺田明日香さんが3位にフィニッシュ。
結婚してお子さんもいるのに34歳?
鍛え抜いた体に34歳で3位にフィニッシュってすごすぎます。

俺は58歳でヨボヨボ老人で稼ぎも全然あかんし、全然モテない男なので、俺のコメントは気にせえへんとして(大阪弁)w
日本の陸上界で女子の体格を寺田明日香みたいなスタイルの方が、世界で戦えるかと思っています。

俺は腹筋してるが、もう300回4回セット 腕立て伏せ100回3セットでは限界。
もう58歳やからしんどいわ。
走る?
中学時代の俺に戻れないよ。
大マジに練習して中学の全国大会に出ていれば、人生は違ったなw
まあ、当時の俺の先輩2人もすごかったよ。
大阪府で1~2位を争った短距離エースと中距離のエースがいました。
短距離エースの方はJALのお偉いさん、中距離のエースは高級住宅街の某所の接骨院で成功されています。
2人とも下町の長屋の子なので努力型です。
俺は上杉達也の天才型で努力が足りませんでした(爆笑)。
努力とパワーがあれば、全国でトップだった可能性があったと当時の中学陸上部の監督に叱られました。
でもね、中学校の運動場の砂って最悪だったので練習したくなかったね。
長居陸上競技場のトラックで毎日練習してくれたら、違ったかもw
遠い昔の思い出です。

話は変わるが、寺田明日香さんの走りぶりさは素晴らしかった。
寺田さん、勘違いしないでください。
俺は58歳なので、ヨボヨボ老人で全然モテないつまらん男なので。
体じゅう、ガタが来て痛すぎてもうあかん人間です。
最後に、田中佑美(富士通)さんは年齢的にまだまだ現役なので、今年後半から記録を伸ばして、優勝してください。


第108回日本選手権(6月27日~30日/新潟・デンカビッグスワンスタジアム)4日目
パリ五輪代表選考会を兼ねた日本選手権の4日目に行われた女子100mハードルは、福部真子(日本建設工業)が12秒86(-0.2)で2年ぶり2度目の優勝。
参加標準記録を準決勝で突破していたため、パリ五輪代表に内定した。
2位に田中佑美(富士通)が続き、3位に寺田明日香(ジャパンクリエイト)が入った。
フィニッシュ後には涙がこぼれた。
「いろんな思いがあります。今やれることはやってきたので、仕方ないと思っています」
将来を期待されたハードラーとして彗星のごとく現われ、高校記録を出し、世界選手権にも出場した。その後、引退し、結婚、出産を経てラグビーに挑戦。そして2019年、オリンピックを目指してトラックに戻ってきた。
日本女子初の12秒台に突入。東京五輪にも出場し、夢を叶えた。だが、そのスタンドに、応援してくれる人たち、愛する家族の姿はなかった。もう一度、と奮起したここまでの3年間。時には試合出場を抑えてでも、この1本に懸けてきた。
だが、「35歳を前にして本当に身体が動かなくなってきたとすごく感じる。全然走れなかった」。脚の痛みにも耐えながら何とか仕上げたからこそ、「13秒かからないで日本選手権を終えられた」。それでも、参加標準記録(12秒77)に届かず、ワールドランキングでも出場枠には届かなかった。
「オリンピックイヤーに合わせられなかったのは、前の自分に戻っちゃったのかなと思ったり…」。ただ、この大一番で12秒台をそろえてトップ3位
に入る存在感は際立つ。
これまで何度も「最後のオリンピックへの挑戦」と口にしてきた寺田。明言は避けたが、「これが最後の日本選手権になるかもしれない」。それだけ「懸けてきた」。だからこそ、簡単に来年のことは語れない。
「(福部)真子ちゃん、(田中)佑美ちゃん、青木(益未)を含めて、みんなで3枠を争ってきて、行けなかったのはすごく残念です」
寺田の元にともに戦ったハードラーが駆け寄る。みな、寺田明日香の偉大さを理解し、その背中を追って成長してきた。
「一度引退した時の日本選手権では予選で落ちて、みなさんにご挨拶できずに姿を消しました。次にトップシーンから退く時は、いろんな方の前で走って辞めたい。中高生と一緒に走るのか、陸上教室なのか、いろいろなところにいって辞めたいと思っています」
もう少し、その美しく、芸術的なハードリングを見たい。そう思うファンは多い。今は静かに、寺田の決断を待つ。