イエス・キリスト直系の俺が聖書説教 2024/06/18 | プルサンの部屋(経済・世界情勢・株・通貨などを語るブログ)

天津神の総意により、イザナギ、イザナミに「この漂っている国を修め理り固め成せ」と命ぜられた。この東の果てに来た時は定まった主権者もなく、「国家形態が彼らの子によって形作られていく様子がいわゆる神話として古事記・日本書紀に綴られている。

イザナギの右目を洗うとアマテラスオオミカミが生まれ、左目を洗うとツキヨミノミコト、鼻を洗うとスサノオノミコトが生まれる。
これはイザナギの禊(みそぎ)である。

伊勢神宮とイスラエルの幕屋に関しても少し記したが、毎年1月4日神宮の五十鈴川で禊をすると聞く。
その伊勢神宮から少し。
伊勢(イセ)という発音は、アラム語でイエスである。
アラム語というのは、イエス・キリストが話していたことばで、十字架上のことばとして福音書に記されている「エリエリレマサバクタニ」(なぜわたしをお見捨てになったのですか)はアラム語である。
ヘブル語ではイシュエ、ギリシャ語ではイエスース、英語では、ジィーザスである。
2016年G7サミット会場に決定した伊勢志摩のシマはヘブル語で国とか土地とかいう意味。
伊勢神宮に流れている清流の名を、五十鈴川(イスズガワ)と呼ばれているが、古くからの本来の呼び名は、イスス川である。
〝いすゞ〟とは濁らない。
ギリシャ語はユダヤ人が日常話していた言葉であった。
「イスース」とそのところに流れている川の名として使っていた名残りであろう。
その川で2000年にわたって禊(みそぎ)が行われている。
禊とは、全身を川の中に浸し、水からあがってきて身も心も清めてもらう儀式である。過去に犯した罪を赦され、新しく生きて行く意味ならば、聖書のいうバプテスマそのものである。
ヘブル語で「メイ」は水、「ソギ」は流れる、行くという意味。
旧約聖書の清める水の性質は、泉の水、滝の水、川の水であって淀み、溜まっている水であってはダメなのである。
ノアの通過した水(洪水)は、ものすごい荒れ狂う水であった。