引退間際に来日してくれ、鹿島アントラーズの全身である住友金属(当時はプロでなくアマだけのリーグ)に入団。
日本のプロ化に力を貸してくれた。
当時の日本サッカーシステムはええ加減で、韓国に負け続けるほど、ヘタレサッカーでした。
当然、日本サッカーシステムに固辞するサッカー協会に激怒し続けたジーコ。
日本のJリーグ誕生まで色々とあったようです。
それでも、Jリーグという日本サッカーのプロ化に精力的に活動してくれた。
お陰で、現在の日本サッカーはアジアでトップに上り詰めることができた。
そして、永遠のライバルである韓国代表に勝ち続ける実力チームに出来上がれた。
これもジーコのお陰である。
一時、日本代表の監督までもやってくれた。
英サッカー界の至宝ケビン・キーガンが大好きな俺もジーコ大ファンです。
ケビン・キーガンとジーコは同世代。
共に若い時はスリムで、かっこよかったのに、引退後太ってきたね(笑)。
2人ともサッカー界のスーパースターであり、超レジェンド。
ジーコがもし欧州のサッカー関係で訪問すると、超VIP扱いになります。
サッカーの王様ペレに次ぐブラジルの至宝ですし、「白いペレ」と呼ばれています。
ネイマールなどが至宝と呼ばれない理由は、マナーなどが備えていないかもしれません。
ジーコはマナーがあり、常識を備えてるスーパースターとしては数少ない人物。
ジーコはタト―がないのはまじめな証拠。
CFフラメンゴ時代、キャリア絶頂期のジーコ氏。
ブラジルではアイドル並みの人気を誇った。
「筋トレしないと運転できない!」
神様ジーコが40年間も乗り続ける“セリカ”との秘話に英感動!
「走行距離は驚きの…」
12/11(土) 5:00配信
試合当日に贈られた車種からまさかのアップグレード!
今年も残すところあと数週間。本稿では、2021年のサッカー界における名場面を『サッカーダイジェストWeb』のヒット記事で振り返る。今回はジーコと愛車の40年にも及ぶ物語をプレイバック。“神様”が頑なに1台の車に乗り続ける理由とは……。
“神様ジーコ”には40年の長きに渡って愛し続けるマイカーがある。
日本やブラジルのサッカーファンの間ではそれなりに知られた話だが、今回あらためて母国のクルマ雑誌『AUTO ESPORTE』の取材を受け、本人が知られざる秘話などを明かした。
それを英有力紙『The Sun』がさらに取り上げ、驚きをもって世界に発信したのだ。
さかのぼること40年前、1981年12月に東京・国立霞ヶ丘競技場で行なわれたのが、第2回トヨタカップだ。南米王者フラメンゴ(ブラジル)と欧州王者リバプール(イングランド)がクラブ世界一の座を争った一戦は、前者が3-0の完勝を収める。
フラメンゴ不動のエースで、当時28歳と脂が乗り切っていたジーコは、1得点・2アシストと全得点に絡む大車輪の活躍で、見事MVPを受賞した。
トヨタカップMVPの副賞と言えば、その時代時代で最先端の技術が駆使されたトヨタ産のスポーツカーだ。
この日のジーコに提供されたのは真っ赤なセリカ。雲ひとつない青空の下、特大の黄金キーを手ににっこり微笑む彼の姿が印象的だった。
なぜセリカをそこまで愛し続けられるのか。ジーコはその理由をこう語るのだ。
「何度もこのセリカを売ってくれと頼まれたが、そのたびに私は頑なに拒否してきた。これは単なるクルマではない。偉大なトロフィーであり、素晴らしい思い出でもあるんだ。フラメンゴが世界一を獲った最高に美しい瞬間のね。(クルマの)調子はぜんぜんOKだし、よく動いている。永遠に乗り続けるよ。生きているかぎりはね(笑)」
しかしながら、国立競技場で贈られたセリカは赤で、現在所有しているのはシルバー。どこかフォルムも異なる。
改造や塗り替えでもしたのだろうか。
これには興味深いエピソードが隠されていた。
1981年当時、不況が深刻なブラジルは外国製品に対して厳しい輸入制限を設けていた。
とりわけクルマなど贅沢品は取り締まりが厳重で、ただでさえ珍しい日本車ともなれば、ブラジル国内では日本大使館員や外交官くらいしか乗っていなかったという。
クルマを金銭に換える手もあったが、ジーコはこれを固辞。
なんとしてもセリカをブラジルに持ち込みたいと、あらゆる手を尽くしたと振り返る。
「あれは優勝トロフィーなんだ。絶対に諦めたくなかった。時の財務大臣や中央銀行の総裁とか、可能な限りの人脈を使って奔走したよ。でもなかなか上手く行かなくてね。クルマがようやく到着したのは、1983年の4月だった」
1年半越しに晴れて“納車”となったわけだが、ジーコにサプライズをもたらしたのが製造元のトヨタだった。
すでにセリカは3代目にモデルチェンジしていたため、トヨタカップ時の「セリカST」ではなく、最新版でよりグレードアップされた「セリカ2.0 GT」を届けてくれたのだという。
しかもブラジルに合わせ、北米向けの左ハンドル仕様をチョイスした。
それからわずか4か月でジーコはイタリアのセリエAリーグの名門ウディネーゼへ移籍するが、欧州挑戦中の2年間は実兄エドゥが預かって、大事に保管していたようだ。
「ハンドルが油圧式じゃないんだ!」と不満爆発!?
気になるのは総走行距離だが、ジーコによれば「だいたい7万マイル(約11万2000キロ)くらい」とのこと。
40年間運転し続けた割にはかなり少ないが、それだけ大切にメンテナンスを繰り返しながら、宝物のように扱ってきたのだろう。
英有力紙『The Sun』は「ジーコほどのスーパースターが40年間もひとつのクルマを大事にしている。まさにカネでは買えない、プライスレスな思い出なのだろう。素晴らしいストーリーではないか」と伝えている。
最後にジーコは冗談交じりに、こんなジョークを飛ばしてインタビュアーを笑わせた。
「油圧式じゃないから、ハンドルがめちゃくちゃ重いんだよ! だからブラジルでセリカを運転するためには、しっかり筋トレをしておかなきゃいけないんだ」