「日本時代は本当にいい時代だった」パラオ人はなぜ今も親日なのか 20200623 | プルサンの部屋(経済・世界情勢・株・通貨などを語るブログ)

ちなみにパラオは台湾と国交を持つ国でもある。



日本が真っ赤に燃える太陽。
パラオはその光で輝く月でありたい。
そう願ってつくられた国旗。
同じデザインだと失礼だからと、月は真ん中から少しずれている。
気高く生きた我々の祖先が築いてくれた素敵な友情をこれからも壊さないように…。
歴史を学ぶことは、本当に大切ですね。


戦前のパラオ統治時代の集合写真


韓国の支局の日本マスコミの在日朝鮮人がパラオ人に質問してその答えに驚くシーンは印象的でしたね。


日本時代がよかったと涙を流す現地人

フィリピンやシンガポールの抗日ゲリラは支那人が主導してやっていたのだよ。
いうなければ、当時の東南アジアにいた華僑(支那系)って既得権益を守るために日本軍にテロをやっていたテロリストだからね。
悪のテロリストだからねw

だから日本軍は抗日ゲリラする華僑を掃討したわけね。
大昔から支那の民族という支那人はな、約束を守らない、現在のアフリカを見てわかるように、黒人が支那に激怒し、暴動化が活発化し始めてるよ。
その意味が解らん馬鹿は馬鹿だ。




台湾・パラオと韓国の違いは、現体制が日本統治の直後なのか、その後、別の国の支配受け、その後に現体制に繋がったかの差が大きい。
韓国はほぼ直接独立したが、台湾・パラオは米国や支那・国民党(日本に恩を仇で返した馬鹿な蒋介石、戦後台湾人に嫌われすぎた哀れな人)の支配を受け、その後、その支配から抜け出した。
当然直前の他国支配は悪い印象が強く、相対的に日本の統治は良かったと言うことになる。
台湾でも「犬が去って豚が来た」と言われる国民党(=支那からやってきた支那系の台湾の政党)が酷すぎたため日本統治がノスタルジーで語られる。

パラオの現地のじー様が「日本統治の頃は教養を与えてくれた、だが、戦後にやってきたアメリカは自由と言うだけで何もしてくれなかった。」ってのが印象に残っている。
戦中を美化するつもりはサラサラ無いがこう言う話を封
殺するのも如何なものか。



東南アジアには開戦前から既に華僑が支配者と現地民の間に入っていて、中間搾取してた立場だったからね。
日本軍が来たため華僑は既得権益を奪われそうになった又は奪われたから現地民を金で釣ったり脅したりと、抗日ゲリラをやったわけだ。
なんで抗日ゲリラが誕生したのか、その背景を無視したらダメだよ。

支那が今のアフリカでやってるのと同じだ。アフリカの黒人は支那に対して超激怒してるよ。




「大日本帝国時代は本当にいい時代だった」…パラオの人はなぜ今も親日なのか!


大日本帝国を懐かしむ人たち
毎年8月になると戦争関連の書籍、報道、番組、記事が増える。基本的に全面的に肯定する人はいないものの、先の戦争の評価は人それぞれである。
「日本のやったことはすべて悪い」という立場もあれば、「仕方が無かった面もある」「良かった点もある」という立場もある。
前者は後者を「歴史修正主義」などと批判し、後者は前者を「自虐史観」と批判する。
これもまた毎年のように繰り返される光景だ。

このように戦争についての論争が自由に行われること自体、いくつかの近隣の国では見られないことかもしれない。
概してメジャーなメディアでは「日本は悪いことをした」というトーンの論調が主流だが、その視点からは抜け落ちてしまう人たちも存在する。
大日本帝国が支配していた時代を懐かしむ人たちだ。
「日本は良いこともやった」と当の日本人が主張した場合、批判を浴びがちだが、実際に大日本帝国の支配を受けながらも今でも好意的に語る現地の人たちの存在は、ある種の論者には不都合な存在なのかもしれない。

たとえばパラオ諸島を含む南洋の島々には、今でも大日本帝国の統治下を知る人たちが存在している。
彼らはその前にはドイツの支配下にあり、戦後はアメリカの強い影響下にあった。
その経験を踏まえてもなお、大日本帝国時代を懐かしむ声は決して少なくない。

たとえば、現地の老婦人、カズエさんはこう語る(名前は日本風だが、パラオ人。
当時はこういう人が多かった)。

「日本時代は楽しい時代だったのよ。私は本当に感謝してますよ。私が生まれたのは日本時代の真っ盛りでしたからねえ。昔は楽な生活だったのよ。食べ物にも困らないしね。日本の時代は本当にいい時代だったのよ」

なぜなのか。
数多くの現地の人たちの証言を集めた『日本を愛した植民地』(荒井利子・著)に収められた肉声を中心に紹介しながら、同書をもとにその理由を見ていこう(上の老婦人のコメントも含め、以下、引用はすべて同書より)。

日本政府はパラオにさまざまな投資をし、インフラを整備した。
もちろんそうした行為は無償のものではなく、多分に計算もあっただろう。
この地域に拠点を持つことは、軍事的にも意味を持つ。
それでもなお島民たちの心をつかめたのは、移住してきた日本人たちの振る舞いも大きかったようだ。
たとえば、学校では島民と日本人、両方の子供が机を並べて学べるようになっていた。
当時、父親が小学校の校長をつとめていたという日本人男性はこう語っている。

「親父からは、島民の子どもたちと私たち日本人と差別はつけないようにと、非常に厳しく注意されました。だからうちのお袋は、僕も僕の友達も同じように扱っていました」

スペインの時代も、ドイツの時代も、島民を家の中に招き入れるようなことはなかったが、日本人はそれをした。
この男性は、日本で退職した後、故郷となる島に戻り、幼馴染と何十年ぶりかの再会を果たし、現地で日本語を教えるようになったという。
日本統治時代の良好な関係が窺えるエピソードだろう。
こうした証言を「支配者側の言い分だ」と疑う向きもいるかもしれないので、当時小学校に通っていた男性(ガロンさん)の証言も紹介しておこう。

「先生たちには、日本の子どももヤップの子どもも、同じように扱いたいということがありました。どっちも日本人にしたいという感じがあった。
朝礼では、日本に向かってお辞儀しました。
カレンダーには紀元節、天長節、お正月とかちゃんと書いてあった。
その日が来ると、日本の日の丸の旗を掲げて式をしました。
それが終わると、パン2個ずつ子どもたちに配って村に帰した。
紅白の丸い小さなパンだった。日本人と同じように扱ってくれていた」

ガロンさんにとって、学校での遠足、運動会、さまざまな行事はいまでも良い思い出だ。
一方で、こうも語っている。

「戦後(アメリカ統治)になって、昔のやり方(日本統治)がみんな滅びてしまった。どうしたら人間の幸せが手に入るかわからなくなった」

ミクロネシアの人たちは、この後、日本の戦争に巻き込まれ、結果として多くの島が甚大な被害を受けている。
そんな日本の統治から離れたにもかかわらず、戦後手に入れた自由(アメリカ統治)をかならずしも肯定的に語らない島民は少なくない。


バカチョンの韓国は恩を仇で返す世界一の馬鹿な民族だ。
だから、日韓断絶を急ぐべきです。
韓国はどうだろう。日本統治前の李氏朝鮮は最悪。日本統治になつて悪いことはほとんどなかった。例外は李氏朝鮮時代の為政者である両班にとってだけ。では、なぜ日本統治後に日本が悪く言われたか。それは独立後の為政者が元両班の手に委ねられたから。日本憎しの元両班は、日本統治時代の事実を日本に悪く捏造し、思想統制を徹底したから?