昨日、自らハマった枠から出ると、

実は本当に願っているものが手に入り、

それを心から喜び、

とても大切に扱えるのではないかという話を書きました。


そう、自分の思う理想の”何者か”になるために、

自分をねじまげて、その枠にはまる。

「いい人」の枠、

「よい母親」の枠、

「できる大人」の枠・・・

それはもう、エスパー伊東ばりに、

体をボストンバッグに無理やり入れるかのように・・・笑


長年、その枠にはまったままの状態が続いていると、

もうそのまま固まっちゃってて、

なかなか枠から出ようと思っても、

体が思うように動かなくなってるんですよね。

だからまずは枠にはまったままでいいからほぐす。

ちょっと体をゆすってみたりして。

で、どんな風にねじまげてはまっているのかを

第三者に観てもらって、

まず右手から出して、次に左手・・・みたいな感じで

枠からの出方を教えてもらったりして。

で、結構出てきて、枠に隙間ができたら、

もう自分で出てこられるわけです。

だから、最初のほぐす段階、

第三者に教えてもらう段階、

自分で出てこれる段階、

枠から出るといってもいろんな段階があって、

その時その時に適切なことをする必要があるんですよね。

がっちりはまっているのに、ほぐすこともせず、

いきなり自分の力だけで出ようとがんばっても、

すごく大変で、痛みも伴いそうです。

思考の枠を外すのもこれと同じです。

自分の気持ちを認めて、表現して・・・

というのがほぐすような段階なんじゃないでしょうか。

そして、セッションを受けるなどして、

枠の外し方を知っている人から、

教えてもらいながら行動に移すことも時には必要。

というか、その方が早い。

体もずいぶんほぐれて、枠からも半分くらい出てきたら、

あとは自分でできるよね!ということです。


枠を外すことについて考えてたら、

エスパー伊東が浮かんでしまった・・・