「難思の弘誓は、難度海を度する大船

 無碍の光明は、無明の闇を破する恵日なり」(親鸞聖人)


親鸞聖人は、人生を海に譬えて、「難度海」といわれています。

「難度海」とは、苦しみの波が絶えない海、ということです。


人生は、次から次へと苦しみがやってきます。

受験を突破したかと思えば、恋愛の苦しみ、就職活動、ようやく就職できてヤレヤレと思う間もなく、仕事で追われる毎日。


一つの苦しみを乗り越えたか、と思うと、また別の苦しみがやってきます。

このように、苦しみの波が次から次へとやってくる海のようなものが、人生です。


「越えなばと 思いし峰に 来てみれば

             なお行く先は 山路なりけり」


こんな難度海の人生を、明るく楽しく渡す大きな船があると、親鸞聖人は、教えられました。


 前回まで、ほとんどの人は、「人生の目的」と「生きる目標」とは全く違う、ということについて、述べてきました。

では、「人生の目的」とは、何か、説明したいと思います



 お釈迦様、親鸞聖人は、「人生の目的」をどう教えられているか、説明します。

親鸞聖人は、人生の目的を次のように言われています。


「難思の弘誓は、難度海を度する大船、無碍の光明は、無明の闇を破する恵日なり」

 (弥陀の誓願は、私たちの苦悩の根元である無明の闇を破り、苦しみの波の絶えない人生の海を、明るく楽しくわたす大船である。この船に乗ることこそが人生の目的だ)

これは、親鸞聖人の主著である「教行信証」に書かれています。


このお言葉について、次回から詳しく述べていきます。

 前回は、「人生の目的」と「生きる目標」を、ほとんどの人は、同じに考えていますが、この2つは、全く違うものだということを、述べました。


 親鸞聖人は、教行信証というご著書に、次のように言われています。
「真仮を知らざるによりて、如来広大の恩徳を迷失す」
真=人生の目的
仮=生きる目標
 真と仮(人生の目的と生きる目標)の違いを知らないから、如来広大の恩徳を迷失す(本当の満足が獲られない)のだと、教えられています。


 「人生の目的」と「生きる目標」とを同じに考えているのは、人生の目的を知らず、生きる目標しか知らないからです。例えば、棒が1本あったとして、その1本の棒を、長いとか短いとか、は言えません。2本の棒を比べて、どちらが長いか、という判断が出来ます。

 それと同じように、「人生の目的」と「生きる目標」の両方を知って、初めて、その2つの違いが分かるのであって、「生きる目標」しか知らなかったら、「人生の目的」と「生きる目標」との区別がつきません。
ほとんどの人は、「生きる目標」は知っているのですが、「人生の目的」を知りません。
そこで、この2つの違いを知るには、「人生の目的」について、説明しなければなりません。

親鸞聖人は、「人生の目的」をどのように教えられているか、次回から、説明していきます。