橋口五葉展 幻の<黄薔薇>あらわる。
千葉市美術館で、7月31日(日)迄、橋口五葉展 を している。
なかなか、充実した展覧会であった。 この千葉市美術館は 浮世絵に かなりの見識を持った
小林忠館長の 企画で 中々竣一な 展覧会を 開く事で、有名である。
小林忠氏は 我々の高校の 2年先輩で、紫友美術会の 代表幹事の建築家のI氏の 同級生である。
以前は 紫友美術会の会員であったが、現在は 残念ながら、止められている。
さて、五葉に 話を 戻すと、五葉の親戚に 黒田清輝がいて、彼の 勧めで、五葉は
東京美術学校 西洋画科に入ってる。
しかし、次第に ラファエル前派に 影響を受けるようになり、装飾的・物語的な 絵画へと 惹かれ
て行ったようである。
卒業後に転機が訪れ、(1905年)夏目漱石の[吾輩は猫である」の装丁を 手がける事になる。
その後、泉鏡花や森鴎外らと組み 美麗な装本を 次々と 世に送る。
グラフィックデザイナーの先駆けとして、明治期末から大正期にかけて、活躍する。
三越呉服店の懸賞広告に応募し、見事1等を獲得した。 二百三高地という髪型の美女のポスターが
世に出、広く五葉の名が 知れ渡ることとなった。
<此美人>1911年
装飾美術家としては 売れっ子になったが、洋画家としては あまり評価されなかった五葉は、次第に
油彩画から遠ざかり かわって浮世絵に のめり込んでいく。
そして、かの有名な <化粧の女>が 生まれるのである。
<化粧の女> 1918年 (千葉市美術館蔵)
<髪梳ける女> 1920年
此の <髪梳ける女>が 完成に至るまでの 何枚もの彼のデッサン画が 展示されていて、絵を描く
人間の一人として、なるほどな~と 感嘆させられた。
<梳る女ニ態> 1914~1920年
そして、絢爛豪華な 日本画の大作 <黄薔薇>は、 五葉の力を 精一杯 出し切った 作品であ
ろうと 思われる。 それが あまり評価されなかった事が、どれだけ 五葉を 打ちのめしたか、
想像に 余りある。 この作品は 暫く 行方が分からなかったらしい。
それで、此の展覧会の タイトルを「幻の<黄薔薇>あらわる」と したのであろう。
<黄薔薇> 1912年 (122.7x50.6cm)個人蔵
一見の価値は あるので、 興味のある方は 是非 ご高覧頂きたい。
なんで 私が 宣伝しているのか、自分でも 分からないが、 自分の感動を 少しでも
シェアしたいと 思うからである。