沖縄移住レポ 準備編
38年間、ずっと関東から出たことはなかった。
東京で生まれ、小学校2年生のときに神奈川県に引っ越し、結婚してまた東京に住み始めた。
もうこのまま、ずっと東京に住み続けるんだと思ってた。
約1年前に出産を迎え、それからずっと「東京という街がいかに住みにくいか」を肌で感じていたとしても。
こんな状態だったから、それはそれはある日突然夫が
「東京を離れて、地方に移住しない?」
と言ってきたときは、驚きと不安と期待を感じると同時に
「ああ、そういう流れなんだな」
と、意外とすんなり受け止めていた自分がいた。
そして、沖縄移住は紆余曲折あったものの、結論から言うと大当たりだった。
①<東京砂漠、いや東京地獄>
きゅうくつだ。
とてもきゅうくつだ。
だけど、どうすればいいのか分からない。
それが日常。
わたしたちは東京都府中市、いわゆる東京都郊外に住んでいる。
ここで10カ月になる息子と過ごす日常は、はっきりいって単調だ。
毎朝、目覚ましをかけずに適当に起床。
特に予定はない。
だいたい9時過ぎにフトンからイモムシのようにノソノソと起きる。
適当に息子のオムツを替えて着替えさせて、朝ごはん。
自営業の夫も一緒に起きる。
わたしたちは緊張感がない。
毎朝何時に起きて、何時までにどこそこに行かなきゃいけない、
そのためには何時の電車に乗らなきゃいけない、といった緊張感はゼロである。
離乳食は適当。
だいたいおかゆにベビーフードをぶっかけて終了。
おかゆは炊飯器でたくさん炊いておいて冷凍しておいたもの。
わたしは家事が嫌いだ。
特に料理は大嫌いで、息子のごはんも超適当。
それでもまだ好き嫌いがないからなのか、大抵いつも全部食べてくれる息子には感謝している。
朝ごはんのあと、平日は夫がカフェで仕事をするからと家を出ていく。
見送ったら家事。
適当に洗濯と食器を洗う。
このまま家にいてもつまらないので、だいたい息子を連れて外出する。
昼は外食。
あるいはテイクアウトして最寄駅直結の子育て支援センターで食べる。
午後はそのまま子育て支援センターで遊ばせるか、街をぶらぶらするか、買い物に出かける。
最近息子は体力もついてきたようで、お昼寝も一日2時間程度。
活発になってきて、とても一日家になんていられない。
外出途中、昼寝したらそのままお茶でもするか、帰宅して家で寝かせるかだった。
息子がお昼寝から起きたら、また適当に街をブラブラするか家で遊ぶ。
夕方、夫が帰宅したら夕飯の支度。
食べて洗い物してお風呂。
息子を寝かしつけた後、ささやかな自分の時間を楽しんで就寝。
だいたい毎日、その繰り返し。
休日は、だいたい家族で自宅付近をブラブラしたり、外食したり、公園で遊んだりして終了。
以前は電車に乗って東京都心まで出た日もあったが、赤ちゃん連れだとものすごく疲れた。
まず、人が多い。
モノが多い。
情報が多い。
スペースが少ない。
休日といえども都心方面の電車はだいたい混んでいて、赤ちゃん連れだと人目が気になる。
騒いだり暴れたり奇声を発すると、一斉に注目を浴びてしまうからだ。
エレベーターもだいたい列ができてて何分も待たなきゃ乗れないし、
スロープだって少ないからベビーカーを担ぐハメになる。
赤ちゃん連れでとてもカフェでお茶なんてできない。
子どもが騒ぐと周りに気を遣うし、ベビーカーを置くスペースもない。
まったくリラックスできないし、心も休まらない。
常に緊張状態。
だから楽しくないし、疲れる。
ひどいときは都心から戻って自宅に着くなり、夫と倒れこむようにフトンに突っ伏してしまうときもあった。
そんなときでも子育ては待ってくれない。
ただ疲れるだけの休日。
それが東京都心に出かけてた頃の印象だった。
だから息子が6カ月くらいになった頃から、わたしたちはまったく子連れで東京都心に出なくなった。
その後、東京都心とは反対方面に足を伸ばすこともあったが、最終的には府中からほぼ一歩も出ない休日を過ごすようになってしまった。
府中も東京郊外であり、人・モノ・情報はそれなりに多いのだが、都心よりは遥かにマシだった。
車があれば行動範囲も広がるが、車を持つメリットよりもデメリットの方が大きかった。
維持費もかかるし、駐車場も別に借りなければならない。
だいたい、電車が走ってるからわざわざ車を持たなくてもどこにでも行けた。
結局、先週も今週も来週も、府中駅前の伊勢丹をブラブラして、外食して、公園行って。
贅沢は言えないけど、今の生活には正直飽きたしウンザリしていた。
産前はこんなことを感じなかった。
「ああ、人多いな」って思うことはあったし、朝晩の電車のラッシュは大嫌いだったけど。
産後、「赤ちゃん」という人が一人増えただけでここまで変わってしまうとは、自分でも驚きだった。
毎日漠然と感じる、「これ以上どうしようもない感じ」。
環境に文句を言ったところで結局何も変わらない。
なんとかやっていくしかなかった。
ここは東京砂漠、いや東京地獄。
人もモノも情報も溢れた、閉鎖された空間。
ときおり息苦しさを感じるが、これ以上もうどうしようもないのだ。
そのときはそう思っていた。
②<予兆>に続く