⑫<光>

悶々と自分に向き合って見つけた光は、

自分の中にある、たくさんの感情(愛されたい、分かってもらいたい、認めてもらいたい、大切にしてもらいたい、注目されたい、など)の根底にあるものは、「寂しい」という感情だということ。


そして、その寂しい自分を誰かに埋めてもらうのではなく、自分で受け入れて、抱きしめてあげること。

それをしないから、同じように感じる出来事が何度も起きる。

今までは、誰かに何かをして欲しくても、それを相手に伝えてなかった。

伝えたら、嫌われると思ったから。弱い人、出来ない人だと思われたくなかったから。

伝えてもいないのに、何かをしてもらおうなんて、無理な話だ。

そうじゃなくて、そんな自分を、まずは自分自身で満たしてあげればよかったのだ。



あと、自分は他人の人生を生きていて、その目的は、責任回避。

結局、他人の期待に応えるため、他人の目を気にして生きてたのだ。

他人の人生を生きると、不自由。でも、責任は他人が取るから、精神的に楽。何かあったら、他人のせいにできるから。

自分の人生を生きると、自由。でも、そこには責任が伴う。


他人の人生を生きることだって悪くない。

だけど、やっぱりわたしは他人じゃなくて、自分の人生を生きたい。

もっと自分を開放したいし、表現したいと思ってることに気が付いた。


「これは好きだけど、あれは好きじゃない」

「これはやりたいけど、それはやりたくない」

「あなたはそう思ってるんだね。でも、わたしはこう思う」

って主張するのって、簡単に見えるけど、すごく勇気が要ること。

でも、それこそが嫌われる勇気だし、幸せになる勇気だし、自分の人生を生きるってことなのだ。


前述したブログやFBページの著者は、自分の体験や、自分の中から出てきたことを、そのまま表現してる人だった。

前は、そういう人たちを見ては「すごい。わたしにはとてもできない」って思ってた。

だけど今は、うらやましく感じる。

うらやましく感じるってことは、きっと自分にもできる。


わたしは、ありのままの、そのままの自分でいいのであって、そうすることで、自分も周囲も幸せになる。

ありきたりの言葉かもしれないけど、やっと腑に落ちた。


⑬<始まりの終わり>に続く。