誉められると嬉しい!
けど、調子に乗りすぎないコト


怒られるとシュンとなる……
けど、むやみに落ち込まないコト


それは他者に操作されないということになるのでは

他人の判断基準に
やたら一喜一憂しないように

そんな風な人になりたいものです

上司や同僚、友人から
嫌なことを言われた時、
どうするかの第2段

「そんな言い方しなくてもいいのに…」「そこまで言われる筋あいないし」「なんであんな風に言うんだろ?私のこと嫌いなのかな」
などなど、
嫌なことを言われると
いっきにネガティブになっちゃうよね

相手から言われた「言葉」や言われた時のシチュエーションを何度も思い出しては、
フツフツと怒りを溜め込み、無駄に時間を使ってしまう…


そんな時は
相手のことをもっと俯瞰して見つめてみるのも一つの手

つまり、
相手はあの時いっぱいいっぱいだったんだろうな、とか
あの日は何かショックな出来事があったのかもね、とか
もともと口が悪い人で、悪気とかなかったのかもね、とか
家族の世話で大変な苦労してるとか、私の見えないとこでいろいろあるのかもね、とか

相手をさまざまな角度から、
全体的に見ようとしていくのです

そうすると落ち着くこともあるよ


相手から発せられる末端の言葉とか行動に一喜一憂するんじゃなく
相手の中心と付き合っていく感じっていうのかな

お互いいろいろありますから、人生


目指している職業があって
それになるために勉強したり努力したりして
なりたい職業に就けたとする

それは夢が実現したってことで、とても喜ばしいことだ

でも、仕事はそこから始まっていく。当たり前だけど。

例えば、
人を助けたいと思って医者になったつもりだったのに、
本当のところでは
「医者」という肩書きを得たかっただけだった、
という自分の浅はかさに気付いたりすることがあるかも知れない

それは何の職業でもたぶん言えることで
憧れとかイメージに惹かれてなったはいいけど
やってくうちに「違うかも」と気付いたりするんだろう
(中には天職を最初から全うする人もいると思いますがね)

ある意味、
そういう壁にぶち当たったような時が、
はじめて「その職業を生きる」ということを考え、
選択するチャンスなのかも知れない


続けるのか
辞めるのか


いままでやってきて
どんな想いを抱いて
その仕事の何を発見したのか


新しいチャレンジをするにしても
ただ次の肩書きを得るためだけに頑張るのは違うよね…

何はなくとも
自分は何ができるのか
したいのか

ちょっとゆっくり考えて、感じてからでも
遅くないよね


普段忙しく生活していると
自分の中に生まれる感情とか想いとか、
何か感じていることを
無視しがち

大半はたわいのない
その時ばかりの感情で、
それに執着するほうが
やらしいけど

本当に気付くべき想いとか
感情も、やっぱりあるのかな…

直感的に感じていることをすくい上げてみると
求めてたものの答えは
すでにあったと
気付くのかも知れない
いい雰囲気
キラキラ空気
なんかいい感じ
な場を創造していくことを
サポートしている友人がいてね、
とても勇気をもらいます

あなたは
しなくてもいい妥協を強いられていませんか?

何も言えずに
発言の機会さえ与えられずに
耐えなくてもいいことに耐えていませんか?

どこまで許されて
どこからわがままなのか
自分では線引きしにくいってこともあるよね


苦しいときもあるけどさ
でもなんかどこかで
腹の底から納得して
晴れ晴れと生きたいのよ

そのために
何かできるといいな
何かしたいな
と思っています