こんにちは、いそべ晶子です。


まさか自分が甲子園のアルプススタンドで応援するなんて、思ってもみなかった。笑


目の前を飛んで行くボールが、大きな弧を描いてホームランになるのを見るのは、気持ちが良い。筒香選手が、ホームランになるときは矢印の向きが揃うんです、とインタビューに答えていたことがあったが、とてもよく分かる。


得点差が大きくても、試合内容は緊迫したものだった。攻める気持ちがより大きかったり、そのチームの持ち味をうまく活かせたりできると、チャンスが得点に繋がる。最後まで気が抜けなかった。



甲子園に勝ち上がってくるチームは、どこもチーム力としては大きな差はないように思う。


初出場のチームは、ニュースなどでも取り上げられ注目されているが、たとえ強豪校であっても、今年のチームとしては初出場なわけで、どのチームにとっても1試合1試合が大切なものだと思う。


高校野球は勝ち負けが必ずあって、勝たないと次の試合ができない。


それが少しせつないね。



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こんにちは、いそべ晶子です。


なにかを形に表出させるとき、エナジーをもやもやさせておく時間はとても大切だ。クリエイターの方と話していて、そんな話題になった。


考えて、モヤモヤさせている間、身体は空いているように見えるが、それは創造の大事な時間。


そういうときに、何か用事を頼まれて身体を使うと、形になりかかっていたものが、さーっと蜘蛛の子を散らすように消えてしまうことがある。そうなったら、もう一度はじめからモヤモヤさせるしかない。笑


会社の向かい側の席の人とはよく雑談もするが、いざどちらかが、そのクリエイション タイムに入ると、話しかけても返事をしなくなる。それはお互い様なので「返事もできないのか」とか無粋なことは言わない。


最近の自分は、モヤモヤさせているものをユニバースに頼んでおくことも多い。目の前の、わたしの身体を使ってやると選択したこと以外は。


やるべき、でもなく、やらねば、でもなく、ただ、やると選択したことをする、という感じですかね。


わたしがいまいるところで、すくすくと伸ばせるものを伸び伸びと伸ばすことがとても大切だと思う。




それが伸び始めるまでは、辛抱のようなもの(ガマンではない)を体験することもあるけれど、きっと、まいたタネの芽がでるまでに、タネの中で起こっている素晴らしい変化が、外からは見えないようなものだと思う。


モヤモヤを形にするのは、モヤモヤしてる本人にしかできないこと。大切に育てて欲しいな。



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こんにちは、いそべ晶子です。

昨日のこと。

電車に乗ったら、「失礼します」とわたしの隣の席に女性が座られた。膝の上にアタのバックを載せておられる。

こちらも「失礼しますが…」と、そのバックはどちらで買われたのですか?と尋ねた。インドネシア、とくにバリ島の製品を持っている方にはとても興味があるが、誰にでも話しかけるわけではない。

購入されたのは家の近くの生協で欲しかったので思い切って買いました、とおっしゃる。

そうですよね。思い切りますよね。
(日本で買うアタ製品は高いので)

その方は続けて「でも、こうした民芸品を買ってあげないと、これを作る方々が続いていきませんから」とおっしゃるので、こちらも深く頷く。

豊田にある民芸品協会の会員でもあったそうで、バリ島では、こうした民芸品をおばちゃん達が朝から晩まで作っています、わたしの友人にもバリ島からアタ製品を仕入れて売っている人もいます、と言うと興味深い面持ちで聞いてくださる。

日本では民芸品がすたれてきていて、技術を伝承していくのが難しくなって来ていますね。でも時間がかかりますものね、日本人に辛抱強さが減って来ているのかしら。とのお言葉に、またまた頷く。

10分ほどの間に、いろいろなことをお聞きできてとても楽しかった。お邪魔しました、ありがとうございますと電車を降りた。

心のチケットを持っている人と、すぐ繋がって、いつでもしたい話ができるように、わたしもオープンでいたいなと思った。

ありがとうございました。
良い一日を。


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こんにちは、いそべ晶子です。

昨日は臼井ミトントリオのライブに。


ライブ後に物販に並ぶ。もう売っているものは持っているけど、洗い替えに(笑)トートを購入。

(ベースの中條さんには、またトート買ったの、と笑われたが、いいのだ。笑)


(写真は前回購入したもの)

ミトンさんはファン一人一人に丁寧に接するので、それを見ているのも好き。


わたしの番になり、アンケートを渡して、トートを買って、ミトンさんからの質問に答える(わたしの質問じゃない 笑)。


昨日は、キッカケはなんだったんですか?と聞かれたので、ツイッターですと答えたら、それは珍しいですねと仰っていた。まあ、そうだよね。


ミトンさんを知ったのは、ツイッターで(友人に教えてもらった)、どれどれと拝見したツイートが楽しくて、これはどんな人かとサイトを見たら、その奥深さにいろいろビックリして、果たしてこの人はどんな音楽を奏でているのか、とても興味が湧いて、そうしたら、その年の中津川ソーラーフェスにLeyonaさんのバックで出演が決まって、リアルに見たらとても良かったのです。


で、配信で音源を買って聴いて、毎日聴くくらい好きなことに気づき(笑)、ライブに行きたいなぁと思って、名古屋ではなかなかライブがなかったので、浜松エスケリータに見に行き、道中一人で運転するのが心許なくて、母を連れて行ったら母にも親切にしてくださって、嬉しかった訳です。


それからはうまくタイミングが合って、ちょくちょくライブに行けて、ライブ後にお話しさせていただくと、いろんなことをよく覚えていてくださって、こちらがビックリし、またライブに行く。という。笑


昨日も、初めてって、という話になって、去年の中津川で初めて拝見しましたと答えると、あれ!意外と歴が浅いんですね!ととても驚かれてしまった。


そうなんです。笑


キッカケはなんでも良くて、まずは知ることが大事。たとえ音楽の人でも、音楽以外の入り口でも構わない。ここで、わたしが知らないことは無限にある。


こうしたステキな方々に、わたしの現実の意識できるところに、どのように登場してもらうかで、わたしの人生の質は随分変わってくると思う。


わたし、気づけ!

いろんなネットワーク張っておけ!

好きとか嫌いとか超えて、受け取れ!

…って、よく思う。笑



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こんにちは、いそべ晶子です。


久しぶりにバリ料理を食べに出かけた。


三連休初日で店は激混み。

テーブル席がいっぱいで、珍しくカウンター席でご飯をいただく。


オーダーが立て続けに入るので、コックがどんどん料理を作る。手が空くと洗い物や片付け。休む暇はない。


それなのに、カウンターに座ったわたし達に、ゆっくり話せなくてごめんねーとにこにこと声をかけてくれる。


目が回る忙しさなのに、根っこの部分の緩やかさとでも言えばいいだろうか。キリキリとした感じよりも、固く結んだものを解くような感じだ。その緩みが、こちらの気持ちも緩ませる。


インドネシア人でごった返す店。コックもバリ人なので、まるでバリ島のワルンに来たみたい。美味しかったなぁ〜ん。


家に帰り、ニュースで、救出されたタイ人の少年達が記者会見している様子を見る。少年達のホッとした笑顔に、こちらも癒された。


こんな事件が起こると、日本だといろいろ深刻になってしまい、誰が悪いのか問い詰める場面も時にあるが、タイのこの場面での、なんとかなるさという感覚が根っこにある感じが、見ているこちらも、ああ良かったと心からホッとする。


バリ人の友人も、何かあっても、「なんともないよ」と声をかけてくれる。そんなとき、こちらの思いつめていた心がホロリと解ける。


精霊に祈ったり、何もなかったよと言ってくれたり、わたしが親しくする日本人の友人にも、そんな人が多い。

何をするわけでもなくても、ただいてくれるだけで、ありがたい、嬉しいなと、心から思う。



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こんにちは、いそべ晶子です。

テレビのバラエティー番組で、記憶は捏造できるという実験をしていた。

実際には起きていないことを、本当にあったことに少しプラスして話すことを繰り返し行うと、話された相手が次第に、そうだったかも、と思うようになり、しまいには出来事のディテールを自分から話し出す、というもの。

記憶は、実はかなり曖昧で、内観して掘り下げた時に出てきた記憶について母とすり合わせると、おおかた母とわたしでは覚えていることが違っている。

例えば、小さい時に母をひどく怒らせて、わたしが外に締め出されたことがあった。わたしの記憶では、そうしたことが何度かあったように感じていたが、母に言わせると一度だけだったそうだ。

普段とは違う母の様子が相当恐かったと見えて、その恐れが記憶を増幅させたと思われる。

たとえ同じ時空間にいたとしても、人それぞれ記憶している事柄は違うし、覚えている事柄一つをとっても、その重みやそれに伴う感情は一人一人異なる。

いまだに、母とは時々、あの時こう言ったとかああ言ったとか、過去に起こった、どちらかの記憶にあることが元で、小さな言い合いになったりするが、そもそも、2人とも、もうあの時の2人ではないのだな。

他にも、例えば、会社で何か不手際があり、その時の様子を頑張って思い出すと、薄っすらと映像が浮かんでくることがあるが、それこそ確かなものではない。そんな気がする、という程度だ。

薄ぼんやりとした映像が、次第に輪郭がくっきりとして、登場人物が動き出すのは、まさに記憶が捏造されている瞬間だろうと思う。

そんな訳で、自分に関しては、記憶は当てにならないと思うので、覚えておきたいことは記録しておく。


まぁ、事細かに思い出せなくてもいいのだ。
そのエナジーになれれば、それで。


その記憶は、宇宙のどんな貢献になっていますか?


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こんにちは、いそべ晶子です。



iPhoneの写真があまりに綺麗で



自分が見ている世界は、どれほどのものなのか




視覚だけにとらわれずに感じなくてはなぁ。




この頃、特によく、そう思います。




今日も今日とて、美しい時間がやってきた。







あなたの眼に映る美しさが、知っているより、もっともっと美しいものだとしたら?


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こんにちは、いそべ晶子です。

うちの話で恐縮だが、小学校のとき、テストで100点取ると100円くれてた。褒めてくれたりとか、あんまりなかったけど。

当時お小遣いも月500円で、週刊の漫画誌(少女フレンドだっけ?)が一冊140円で、1か月にするとお金足りないなーと子ども心に思ってて、テスト頑張った記憶が。笑

方法はいろいろあるから、短絡的に、そうか100円あげれば子どもは勉強するのか、というのはちょい違う。

わたしが単に、勉強したり問題解いたりするのが好きだから、このやり方が成り立っていたのね。

好きなことは、楽しいだけじゃなく苦しかったり辛かったりすることもあるけど、そんなの関係なく、続けることを選択したんじゃないかと。

問題を解くとき始めは何度も失敗する。
自分がとても嫌になることもある。
たぶん、それが苦手だと記憶される。
失敗する自分への嫌悪感。

失敗したら新しい方法を試す。
それを何度も繰り返す。
嫌悪感を脇に置いて進むとそれができるようになる。
繰り返すうちに感触が変わる。

解けなかったものが解ける瞬間。

その瞬間には、さっきまで脇にあった嫌悪感が破壊される。

(空気がピンク色に染まる夕暮れ)


例えば、ギタリストの人が、どうやったらそんなにうまく弾けるようになりますか?と質問されて、「練習してください」と答えているのを耳にする。そういうことかな。

「どうやったら、うまくできるようになるのか」という問いは、自分自身への問いかけに使うことがわたしは多く、いろいろやってみて、やってみたいことが上手くできない時に、「ここをどうしたらいいですか?」と、上手くやれている人に質問しているように思う。

あなたにとってのご褒美は何ですか😊?
ご褒美をどのように受け取っていますか?


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こんにちは、いそべ晶子です。

先週の土曜日は、バウムさんでの体験セッション会でした。



お越しくださった皆様、ありがとうございました。


ご利用いただいたメニューは
・シータヒーリング
・潜在意識カードリーディング
・アクセスバディプロセス 
・アクセスバーズ
…でした。


(すーいすい)


カラダが凝るとマッサージに行くように、エナジーの凝りをヒーリングでほぐしています。

目に見えるところ、目に見えないと感じているところ、その他のところも、癒して、ほぐれると、もっと自由にイキイキと生きて行けますね。


次回の開催は9月下旬を予定しています。日程のリクエストありましたら、ご連絡くださいませ。調整いたします。

ご連絡、お問い合わせはこちらから


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こんにちは、いそべ晶子です。


予備校のときに知り合った友人が、知り合う前からずっと狂言師であった。

今回はその友人が「釣狐」という大曲を初演するというお知らせをいただき、とても楽しみにしていた。


「釣狐」という演目は、罠を仕掛けて狐を釣っている人間に、古狐が僧に化けて、もう狐を釣らないようにとコンコンと説くが、その帰り道に、一つ残しておいた罠にかかってしまい、さてどうなる?というお話。

おおよそ70分ほどを主役の狐と狩人との2人で演じきる。互いの化かし合いが滑稽で面白い。

狂言は能舞台で演じられ、歌舞伎のように舞台セットはない。舞台に上がった演者だけで、絶妙な間がそこに見えない背景や空気感を作り上げて行く。

狐役の友人は毛皮をまとい、その上から僧の衣を着付け、老人の面をつけた様相。面を通した台詞が響く。



この日は大雨明けの照りつける太陽。名古屋城のお堀脇の道をてくてく歩いて、名古屋能楽堂へ向かった。10分ほどの道のりがじりじりと焦げる。



普通の服でもこんなに暑い。

装束をつけて演じる友人は本当に大変そうだなぁと思いつつも、一生懸命、僧に化けた狐の正体がちょっぴり現れてしまう瞬間が、健気で可愛らしく笑ってしまう。

脇正面の良席で、しかも周りには通い慣れた狂言通なお客様がいらして、わたしと同じタイミングで笑ってくれて、狂言の楽しさが倍増した。

最後には狐の姿で現れ、罠のネズミを見て涎が出る様は圧巻。罠にかかるも、うまいこと逃げたときには、ヤッターと小さくガッツポーズ。笑笑

始まりには、笛や鼓の音色も目の前で見れて、バンドの演奏とはまた違う和楽器の生み出す空間に感動した。

どれだけの稽古を積んだのか、仕事もしながらの身で、わたしに想像のつくことをはるかに超えていると思うが、友人のいまの充実した姿を見に行けて、本当に良かった。

おめでとうございます。これからも、ますますのご活躍を祈念しつつ。

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