良寛さんって 知ってますか 
1000夜『良寛全集』良寛|松岡正剛の千夜千冊
前略
このほか、良寛に憧れた者はたくさんいた。松岡譲、亀井勝一郎、吉野秀雄は良寛の普及に貢献し、唐木順三が「最も日本人らしい日本人」と言ってからは、川端康成(53夜)の「良寛は日本の真髄を伝えた」にいたるまで、良寛は日本人の「心のふるさと」とさえ結びついた。
しかし、そのように良寛を褒めちぎっていって、良寛の何が伝わるかというと、これは案外に心もとない。
さきほどの田辺元書写の漢詩にして、この詩句から良寛の生活思想を「騰々任運」とか「任運自在」の一言でまとめる議論が陸続とあとを断たなかったのであるけれど、そうなるとこれは良寛が浸った道元禅の精神そのものと分かちがたく、それはそれで良寛ではあるけれど、半分は道元にもなってしまうのだ(988夜)。
そんなことを感じつつ、いや漢詩をもってくるのはどうかと思い、それで選んだのが、次の歌である。
淡雪の中にたちたる 三千大千世界(みちあふち)
またその中に 沫雪(あわゆき)ぞ降る
この一首を措いて、「ぼくの良寛談義はこの一首に始まり、この一首で終わる」と書いた。そうしたら、そのとたん、すべてが良寛に舞いこみ、そこから立ち上がって、雪のように舞い散ってくれたのだった。
中略
良寛には若いころから激しい無常感があった。「無常 信(まこと)に迅速 刹那刹那に移る」の詩句もある。良寛はどんな片々(へんぺん)の動向にも「永遠と瞬時の交代」を見た。
このような見方は良寛が最後の最後まで貫いた見方であって、そこには、どんなときにも「寸前と直後」を決して切り離さないという見方が躍如していた。
これは、書においては良寛の書が「手前の書」「渦中の書」「事後の書」に放埒されていることにあらわれ、漢詩や和歌にあっては、光景の前後や消息の前後をこそ詠じるという特徴にあらわれる。良寛は俳句も作っているのだか、この感覚の表現は俳句にもあらわれた。たとえば、「風鈴や竹を去ること二三尺」。このメトリック、このディマケーションなのだ。
そのことは、とりわけ貞信尼が書きとめた良寛末期の歌が、次のようだったことに、最も劇的にそして最も哀切に、表象されている。
うらをみせおもてをみせて 散るもみじ
ここには「淡雪の中にたちたる三千大千世界(みちあふち)、またその中に沫雪ぞ降る」が、そのまま再現されている。
斎藤茂吉(259夜)も良寛に惚れていた人である。この良寛の辞世ともいうべき歌は、茂吉を打倒し、良寛を学ばせ、それを超克させる勇気を与えた。母の死に向き合って、茂吉は茂吉なりに良寛から放たれた燕になった。
貞信尼についても、一言書いておく。
この女性は長岡城下の藩士の娘で、17歳で医者に嫁いだものの性格があわず、別れて23歳で剃髪した。そこからまだ見ぬ良寛にずっと憧れるという日々になっていく。
それほど良寛がよく知られていたか、貞信尼が狙い定めた意中の人だったということだ。たんに憧れただけでなく、良寛を敬慕して、縁のありそうなところを訪ね歩いた。住まいのあった柏崎から信濃川をこえ、与板、島崎、出雲崎、寺泊などまで出向いている。それが30歳のときに良寛にまみえ、そのまま良寛の死までを傍らで尽くした。そのとき良寛は70歳になっていた。
この最初の出会いの時のことを、貞信尼は「きみにかくあひ見ることのうれしさも まださめやらぬ夢かとぞおもふ」と詠んだ。よほどの感動だったのである。それを安田靫彦が日本画にした。
それからの二人は老人と娘でありつつも、恋人のようにふるまっている。良寛が貞信尼の墨染の装いを見て「カラスのようだ」と笑い、自分はさしずめ山ガラスだといえば、貞信尼はコココと笑って、「それなら私は子ガラスだ」とはしゃいだ。そのときの歌がある。
とびはとび すずめはすずめ さぎはさぎ
からすとからす 何があやしき
ぼくは『外は、良寛。』に、これではまるで中島みゆきか研ナオコの歌のようだ、と微笑しながら書いたものだった。しかし、そういう歌を、良寛と貞信尼が越後の片隅で二人だけの大ヒット曲にしていたということに思いいたったとき、涙がこらえられなかった。
中略
良寛は強がりが大嫌いで、威張っている者をほったらかしにした。引きこもりも嫌いだった。そういうときは古き時代のことに耽るか、野に出て薺(なずな)を摘んだほうがいいと決めていた。
ものおもひすべなき時は うち出でて
古野に生ふる薺をぞ摘む
こうして、良寛はどんなときも、一番「せつないこと」だけを表現し、語りあおうとした。「せつない」とは古語では、人や物を大切に思うということなのである。そのために、そのことが悲しくも淋しくも恋しくもなることなのだ。それで、やるせなくもなる。
しかし、切実を切り出さずして、何が思想であろうか。切実に向わずして、何が生活であろうか。切実に突入することがなくて、何が恋情であろうか。切実を引き受けずして、いったい何が編集であろうか。
ぼくは思うのだが、われわれはあまりにも大事なことを語ろうとはしてこなかったのではないか。また、わざわざ大切なことを語らないようにしてばかりいたのではなかったか。良寛の詩歌を読むと、しきりにそのことを思いたくなる。
これは「千夜千冊」全冊を終えての、結論である。
無常 信(まこと)に迅速
刹那刹那に移る
紅顔 長く保ち難く
玄髪 変じて糸となる
いざ歌へ われ立ち舞はむひさかたの
今宵の月に いねらるべしや
いざさらば われは帰らむ 君はここに
いやすくいねよは 明日にせむ
感動長編アニメ【良寛さん】|東建コーポレーション
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このほか、良寛に憧れた者はたくさんいた。松岡譲、亀井勝一郎、吉野秀雄は良寛の普及に貢献し、唐木順三が「最も日本人らしい日本人」と言ってからは、川端康成(53夜)の「良寛は日本の真髄を伝えた」にいたるまで、良寛は日本人の「心のふるさと」とさえ結びついた。
しかし、そのように良寛を褒めちぎっていって、良寛の何が伝わるかというと、これは案外に心もとない。
さきほどの田辺元書写の漢詩にして、この詩句から良寛の生活思想を「騰々任運」とか「任運自在」の一言でまとめる議論が陸続とあとを断たなかったのであるけれど、そうなるとこれは良寛が浸った道元禅の精神そのものと分かちがたく、それはそれで良寛ではあるけれど、半分は道元にもなってしまうのだ(988夜)。
そんなことを感じつつ、いや漢詩をもってくるのはどうかと思い、それで選んだのが、次の歌である。
淡雪の中にたちたる 三千大千世界(みちあふち)
またその中に 沫雪(あわゆき)ぞ降る
この一首を措いて、「ぼくの良寛談義はこの一首に始まり、この一首で終わる」と書いた。そうしたら、そのとたん、すべてが良寛に舞いこみ、そこから立ち上がって、雪のように舞い散ってくれたのだった。
中略
良寛には若いころから激しい無常感があった。「無常 信(まこと)に迅速 刹那刹那に移る」の詩句もある。良寛はどんな片々(へんぺん)の動向にも「永遠と瞬時の交代」を見た。
このような見方は良寛が最後の最後まで貫いた見方であって、そこには、どんなときにも「寸前と直後」を決して切り離さないという見方が躍如していた。
これは、書においては良寛の書が「手前の書」「渦中の書」「事後の書」に放埒されていることにあらわれ、漢詩や和歌にあっては、光景の前後や消息の前後をこそ詠じるという特徴にあらわれる。良寛は俳句も作っているのだか、この感覚の表現は俳句にもあらわれた。たとえば、「風鈴や竹を去ること二三尺」。このメトリック、このディマケーションなのだ。
そのことは、とりわけ貞信尼が書きとめた良寛末期の歌が、次のようだったことに、最も劇的にそして最も哀切に、表象されている。
うらをみせおもてをみせて 散るもみじ
ここには「淡雪の中にたちたる三千大千世界(みちあふち)、またその中に沫雪ぞ降る」が、そのまま再現されている。
斎藤茂吉(259夜)も良寛に惚れていた人である。この良寛の辞世ともいうべき歌は、茂吉を打倒し、良寛を学ばせ、それを超克させる勇気を与えた。母の死に向き合って、茂吉は茂吉なりに良寛から放たれた燕になった。
貞信尼についても、一言書いておく。
この女性は長岡城下の藩士の娘で、17歳で医者に嫁いだものの性格があわず、別れて23歳で剃髪した。そこからまだ見ぬ良寛にずっと憧れるという日々になっていく。
それほど良寛がよく知られていたか、貞信尼が狙い定めた意中の人だったということだ。たんに憧れただけでなく、良寛を敬慕して、縁のありそうなところを訪ね歩いた。住まいのあった柏崎から信濃川をこえ、与板、島崎、出雲崎、寺泊などまで出向いている。それが30歳のときに良寛にまみえ、そのまま良寛の死までを傍らで尽くした。そのとき良寛は70歳になっていた。
この最初の出会いの時のことを、貞信尼は「きみにかくあひ見ることのうれしさも まださめやらぬ夢かとぞおもふ」と詠んだ。よほどの感動だったのである。それを安田靫彦が日本画にした。
それからの二人は老人と娘でありつつも、恋人のようにふるまっている。良寛が貞信尼の墨染の装いを見て「カラスのようだ」と笑い、自分はさしずめ山ガラスだといえば、貞信尼はコココと笑って、「それなら私は子ガラスだ」とはしゃいだ。そのときの歌がある。
とびはとび すずめはすずめ さぎはさぎ
からすとからす 何があやしき
ぼくは『外は、良寛。』に、これではまるで中島みゆきか研ナオコの歌のようだ、と微笑しながら書いたものだった。しかし、そういう歌を、良寛と貞信尼が越後の片隅で二人だけの大ヒット曲にしていたということに思いいたったとき、涙がこらえられなかった。
中略
良寛は強がりが大嫌いで、威張っている者をほったらかしにした。引きこもりも嫌いだった。そういうときは古き時代のことに耽るか、野に出て薺(なずな)を摘んだほうがいいと決めていた。
ものおもひすべなき時は うち出でて
古野に生ふる薺をぞ摘む
こうして、良寛はどんなときも、一番「せつないこと」だけを表現し、語りあおうとした。「せつない」とは古語では、人や物を大切に思うということなのである。そのために、そのことが悲しくも淋しくも恋しくもなることなのだ。それで、やるせなくもなる。
しかし、切実を切り出さずして、何が思想であろうか。切実に向わずして、何が生活であろうか。切実に突入することがなくて、何が恋情であろうか。切実を引き受けずして、いったい何が編集であろうか。
ぼくは思うのだが、われわれはあまりにも大事なことを語ろうとはしてこなかったのではないか。また、わざわざ大切なことを語らないようにしてばかりいたのではなかったか。良寛の詩歌を読むと、しきりにそのことを思いたくなる。
これは「千夜千冊」全冊を終えての、結論である。
無常 信(まこと)に迅速
刹那刹那に移る
紅顔 長く保ち難く
玄髪 変じて糸となる
いざ歌へ われ立ち舞はむひさかたの
今宵の月に いねらるべしや
いざさらば われは帰らむ 君はここに
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