主観の心が客観の対象(これを境という)をこれこれしかじかだと判断する、と思っている


が、客観とはいえ、それは私たちの心によって何ほどかデフォルメされた対象なのだ。


それぞれの経験や自分の都合、好悪や問題意識の濃淡が違うから、同じものを見ても、


同じ印象や判断にならない。


そこで、単に心や境ではなく、「能変の心・所変の境」という。



今日の学び。



西国巡礼慈悲の道の豆知識より。




能変の心  は、 非常にはなはだしく変わる心  


所変の境  は、 ところ変われば変わる境界  



わかりやすくいうと、そんなところでしょうか?