私が移植を受けたのは、大体6歳の頃。

運のいいことに、ドナーは実の父親。

発病して4年くらいで、移植を受けられたことになる。


 そのころの私はまだ小さくて

自分が何なのか、何で痛い目にあわなくちゃいけないのか

何で好きなものを食べられないのか

沢山の疑問や、その答えを理解することはできなかった。


だから、自然と日々起こることに身を任せていた。



 小さかったから

自分では何にもわからない。

だから、私は大人になった今も


自分の体のことをよく知らない



 これは結構まずいことだと思う。

でも、後で触れるけど、色々な葛藤や経緯があって

物事は少しずつ変わっていく。



 何も知らなかった子供

それでも、自分は皆と違うんだ

ということは理解できた。

これは劣等感となって、今でも私の心を縛っている。


 手術の傷跡

 日常の過ごし方

 制限

 容姿の違い


人が当たり前に経験する他人との差異

それに合わせて私には体の差異があった。


 他人と自分が違う

子供は自分と違うものを

その正直な眼で見て、口にする


 傷つくことは多かった。

泣いたことも多かった。

味方はいなかった。


 でも、弱音は吐き続けてはいられない。

心も体も強くならなくちゃ。


 劣等感を持たせた差異は

私に力を与えてくれた。