大変ご無沙汰しております


プリン地方、最低・最高気温共にマイナスで24時間ストーブつけっぱです




前回、私の今の生活を書き


皆さんからコメント・メッセージ・メール・LINEなど


沢山のあたたかい言葉や応援、体験談など私を支えて下さる、元気をくださる文面に凄く助けられました




あのブログを書いて程なくして父は歩く事がほぼ困難になり


心配して2日だけ長男が帰省しました


その時は父も孫が来て喜んでいました


会話も出来、ベッドに座りながらご飯も食べ


自らベッドの下にある足の体操器具(昨年私が誕生日プレゼントに購入した物)を出して、やって見せていました


立ち上がったり、歩いたり出来ない父がその様な行動をしたので私は本当に驚きました


でも、歩いて玄関には行けない事を考慮し車椅子を買いに行きました


本当はレンタルもあったのですが、週末だった為月曜日の透析には間に合わない


たとえ使うのが1回でもいいから

車椅子に乗せてあげよう!と決めました


月曜日、なんとか車椅子で透析に行けました


長男が帰った後、次男が同じく2日だけの予定で来ました


でも、次男が来た時はベッドに座る事も大変で支えてあげながら食事


ですが!やはり孫のPOWERは凄いです


会話は出来ていました


水曜日、2人で何とか車椅子に座らせてあげる事ができ透析へ送り出しました


次男に「行って来ます」と笑顔で手を振りながら


ですが透析から帰りベッドへ移動させるにも、本人は全く力が入らないので


全体重を2人で抱えるのも息が上がるほど大変な事でした


透析から帰った日はいつも疲れきってグッタリしているので、次の日はどうかな?と期待をしていましたが


次の日になっても食欲もなく

呼吸も苦しそうになりました


次男とこれでは明日の透析も無理だし

素人の私たちではもう無理だね…


と判断し、病院と連絡


救急車で搬送し入院しました


プリン地方、コロナ感染者が莫大に増え


当然、お見舞いや付き添いは無理との事


個室に入れば可能だが空きがないと…


ですが、土日のみなら個室が空く事が分かり個室へ


土曜日に透析をしましたが、透析をした事での疲労で呼吸も荒く意識もない状態


医師から「体に負担をかけてまで透析をするのか、やめるかを決めてほしい」と言われました


透析をやめる=もう生きる事は出来ないという事


それを私たちが決めるのか悩みました

(ですが決断するのは子である私と兄。

決して息子たちにはその決断をさせる訳にはいかないと思いました)



長男も再び帰省しました


次男もずっと残りました


私の母は亡くなる前に医師から

「可能性は少ないけど治療をするか、治療をせず穏やかに過ごすか」と聞かれ


私も父も母の命の終わりを決める事ができませんでした


ですが母は自分で「治療します」と言い


残る者の負担を減らす決断を自分でしました


なので父とも、以前からその様な時が来たら自分で決めて欲しいと話していました


その様な時が来ました


日曜日には父の意識も戻り、会話もできました


意を決して父に話しました


「透析を続ける?それとも透析をやめて穏やかに過ごす?」


父は「透析はもう嫌だ」と言い

私が「透析をやめるでいいの?」って聞くと「そうして欲しい」


と言う事で透析を中止しました


そして次は医師から

「点滴は透析をしていた人には水分でもある為、毒になります」

「それでも点滴を続けますか?」


お断りしました…


個室もそのまま使用できる様になりました


なので、面会もいつでもできます

(午後からなら)


お昼ご飯に合わせて私と次男が


夜ご飯に合わせて私と長男が行きました


それからの父はおかずを少しでも食べたり


高カロリーのゼリーを完食したり


会話も出来ました


寝ている時間が多くなりましたが


息子たちの声には反応し、起きていました


夜ご飯の時間には、実家で猫の世話をしている次男と電話を繋ぎ


猫たちと対面


父は大変喜び、ニコニコ笑顔になりました


入院して9日目の深夜


病院から「血圧が低下しているので来て下さい」との事


急いで行きました


朝を迎え、血圧・脈・心拍が正常に戻りました


血中酸素だけが下がっていました


時々、息子たちが声をかけると目を開け返事をします


兄・息子たち・私

誰もがまだ大丈夫だと思っていました


ですが、その時は突然訪れました


皆んなでワイワイ話をしていたら


突然、呼吸をしなくなりました


本当に苦しむこともなく、眠るように…


歩くのが不自由になった9月から

本当に父は頑張ったと思います


今となっては父の介護をさせて貰えて

本当に良かったと思っています


辛く、大変な時もありましたが


後半は母にしてあげれなかった事を父に出来、本当に私は幸せだと思っています


時間が少し経過した今


ほんの少しでも親孝行出来たのかな?と思っています…





猫のブログなのに


この様な内容のブログで申し訳ありません


ブログ訪問、出来る様になったらお邪魔させて貰いますが


私のブログ更新はもう少しお休みさせて貰います









そして12月2日はプリンのお家の子記念日でした。


おめでとうLINEを下さった友、ありがとう。



そして画像を下さったおんぷさん


ありがとうございました。