こんにちは☀️
8/4に下書きしたままになっていた内容です🙏
↓
今日は娘と海へ行ってきました!
和歌山の実家は海のすぐ近くで
家から水着を着てそのまま行けるので
ありがたい❣️
大人になってからは海、暑いし焼けるし苦手だったけれど
子供が出来たら自分が子供の頃好きだったことを
また一緒に出来て
子供の頃の楽しかった気持ちを思い出せて
ありがたいな〜![]()
めちゃくちゃ暑いと思ったけど(最高気温36度でした)
海に入ると水が冷たくてそんなに暑さを感じない✨
3時間くらいの滞在で
すっかり日焼けしました💧
娘は明日も行きたい!とすごく楽しかったようです♡
ママ頑張った甲斐あったなぁ🥰
闘病記のつづきです⭐︎
治療スケジュール
日本で治療することを決めた私
すぐに手術!と思ったけれど
最短でも日程が1ヶ月先、、、
それでも日本で、和歌山なのでまだ早い方だったようです
東京の有名な病院とかだと数ヶ月待ちらしいし
パリでももっと待たされたと思います😓
先生の話では乳がんはそんなに早く進行するガンではないので
1ヶ月遅れたからといって急に悪化することはないとのことでした
私の発覚〜治療終了までのスケジュールはこんな感じでした
2022年
8月9日 検診→細胞診
8月18日 告知
8月22日 紹介状を持って大学病院へ
8月26日 MRI検査
9月14日 セカンドオピニオン
9月26日 手術前の検査
10月4日 手術(10月3日〜5日入院)
10月24日 術後経過観察
10月31日 タモキシフェン(ホルモン薬)開始
11月7日 リュープロレリン注射1回目
11月11日 放射線治療開始
12月5日 放射線治療16回終了
12月8日 渡仏✈️
8月末の時点で手術〜放射線までの
だいたいの予定を聞いて
早ければ11月末に放射線治療が終わりそうだったので
フランスに戻るフライトを12/8発に変更したのですが
主治医と放射線科の間で連携が取れていなくて
術後に放射線の予約を取ろうとしたら
終了日が12月中旬と言われて焦りました😅
事情を説明して何とか早めのスケジュールで組んでいただき
全ての治療が終わった3日後には渡仏という
過密スケジュールになりました
母たちとの旅行もそのままずらしたので
母2人と娘と私の4人でフランスへ飛び
そのまま1週間ほどフランス&スペイン旅行でした
でもこの旅行というゴール(目的)があったからこそ
日本での闘病生活を前向きに乗り越えられた気がします
闘病生活の乗り超え方
振り返ってみると日本での闘病生活はあまり辛かった思い出がありません
むしろ4ヶ月も日本でのんびり(?)過ごせて
人生の長い休暇を過ごした気分・・・
どうしてこんなに楽しく闘病生活を送れたのかというと
やっぱり支えてくれた家族の存在がすごく大きかったです
一番の存在はやはり母です
私以上に私の身体のことを親身になって心から心配してくれて
相談に乗ってくれたり
ペーパードライバーの私のために毎回病院に送り迎えをしてくれて
大学病院の長い待ち時間も一緒に待ってくれて診察中は2歳半の娘のことを見てくれて
手術の時も付き添ってくれて、術後に寝込んでいた時は娘の世話をしてくれて
毎日ご飯を作ってくれて
こうやって書き出してみると
本当に母がいないと私は日本での治療は叶わなかったなと痛感します
子供がアラフォーになってもこんなに頼らせてくれて(当時はぎりぎり39歳でした)
いつまでたっても変わらない母親の愛情の深さに
本当に感謝しないとなと思います![]()
それから、同じく実家で送迎してくれたり
身体をいつも気遣ってくれた父
入院中に娘を預かってお世話してくれた妹一家
時差のあるフランスで激務中でも
毎日LINEや電話で話を聞いてくれた夫
ママが乳がんになっても相変わらずおっぱい好きで
どんな姿になっても私の乳を求めてくれた娘(笑)
家族との良い繋がりがあったからこそ
こんなに支えてもらえて
皆で一丸となって病に勝つ‼️という心持ちで
希望を抱き続けることが出来たんだと思います![]()
そしてさっきも書きましたが
「治療を終えてフランスへ戻る!」というゴールがあったことも
未来に対する不安を楽しみに変えてくれていたのかな![]()
当時の私はポジティブ心理学を学んでいませんが
ポジティブ心理学の観点からも
困難を乗り越えるには
・周囲の人に頼る
・目標を持つ
ということが大事なようです❣️
この辺りは私のもう一つのブログに以前まとめていますので
詳しく知りたい方はぜひ読んでみて下さいね
今日も長くなってしまったのでこの辺で
最後まで読んでくださりありがとうございました


